Boaz2014-03-10

宴会芸を強要する文化を持っているのは日本だけだろうか? 


私が宴会芸的なものを強いられたのは、高校のブラスバンド部に入った
ときだった。
一年生の自己紹介を順番にしていったとき、先輩たちから「芸! 芸!」
というコールがあり、何でもいいから一発芸をしなければならなかった。
そのとき自分が何をしたのか、もう憶えていない。


自分が二年生になったとき、後輩に同じようにしたはずなのだが、やはり
記憶がない。見るのも苦痛だったのかもしれない。


次に強要されたのは、内定した編集プロダクションのパーティーのときだ。
当時は景気が良かったので、ホテルの宴会場でビンゴ大会があり、なんと
私はパラボラアンテナとBSチューナーをゲットしたのだ。
(そのときのパラボラアンテナは現在でも使っている)


その商品の目録を贈呈されたとき、やはり一発芸的なものをやらされた。
漫談みたいなことを喋って壮大に滑った。これは今でもはっきりと憶えて
いる。自分は面白い話ができないのだ、とはっきり自覚した。


その後、職を転々としたが、幸い宴会芸をやらされることはなかった。
ただ、カラオケを唄わされることはあった。



漏れ聞くところでは、広告代理店の新人は過酷な宴会芸をやらされるという。
現在でもその伝統が続いているかどうかは知らないが、パワハラで訴えられ
やしないのだろうか。


そもそも宴会芸は何のためにあるのか? 
場を無理やり盛り上げるためである。


なぜ盛り上げなければならないか。
いちおう人間関係を深めるため、という理由があるようだ。
しかし、恥ずかしいことや下品なことをして同じ仲間だと認知しあうのは
単なる文化の貧困である。


難しい話をすれば、日本は(あるいはアジアやラテン系社会は)、
他者を他者として認めることができず、通過儀礼を通じて身内にならないと
認められない社会ということだ。
それは近代的な意味で、大人と大人の関係が築けない社会である。



付け加えるならば、べつに宴会は盛り上がらなくてもいいのである。
盛り上がりというのはあくまでも結果であって目的ではない。
会話が弾まない宴会というのは、人選が悪いのである。


そして会話は人数が少ないほうが楽しい。
大勢が集う宴会は、業務的な挨拶が終われば、さっと解散するのが粋と
いうものだろう。



「宴会芸」でググったら、「ゆとり金閣寺」とかいうサイトがヒットした。
ライフネット生命の新人採用企画らしい。


そこに「なぜ新人に宴会芸をやらせるの?」という質問があり、最初の
回答者はなかなかいいことを書いていた。


が、2番目の回答者は「じゃあ外資系にしたら? でもすぐクビになる
かもね」という論点のすり替えをしており、こいつはインチキ野郎だと
思った。
新人に宴会芸を強要しない会社が日本で普通になったらいいな、とは
思わないのだろうか? 
リクルート出身だから、そんな考えはないのだろうな。