宴会芸を強要する文化を持っているのは日本だけだろうか?
私が宴会芸的なものを強いられたのは、高校のブラスバンド部に入った
ときだった。
一年生の自己紹介を順番にしていったとき、先輩たちから「芸! 芸!」
というコールがあり、何でもいいから一発芸をしなければならなかった。
そのとき自分が何をしたのか、もう憶えていない。
自分が二年生になったとき、後輩に同じようにしたはずなのだが、やはり
記憶がない。見るのも苦痛だったのかもしれない。
次に強要されたのは、内定した編集プロダクションのパーティーのときだ。
当時は景気が良かったので、ホテルの宴会場でビンゴ大会があり、なんと
私はパラボラアンテナとBSチューナーをゲットしたのだ。
(そのときのパラボラアンテナは現在でも使っている)
その商品の目録を贈呈されたとき、やはり一発芸的なものをやらされた。
漫談みたいなことを喋って壮大に滑った。これは今でもはっきりと憶えて
いる。自分は面白い話ができないのだ、とはっきり自覚した。
その後、職を転々としたが、幸い宴会芸をやらされることはなかった。
ただ、カラオケを唄わされることはあった。
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漏れ聞くところでは、広告代理店の新人は過酷な宴会芸をやらされるという。
現在でもその伝統が続いているかどうかは知らないが、パワハラで訴えられ
やしないのだろうか。
そもそも宴会芸は何のためにあるのか?
場を無理やり盛り上げるためである。
なぜ盛り上げなければならないか。
いちおう人間関係を深めるため、という理由があるようだ。
しかし、恥ずかしいことや下品なことをして同じ仲間だと認知しあうのは
単なる文化の貧困である。
難しい話をすれば、日本は(あるいはアジアやラテン系社会は)、
他者を他者として認めることができず、通過儀礼を通じて身内にならないと
認められない社会ということだ。
それは近代的な意味で、大人と大人の関係が築けない社会である。
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付け加えるならば、べつに宴会は盛り上がらなくてもいいのである。
盛り上がりというのはあくまでも結果であって目的ではない。
会話が弾まない宴会というのは、人選が悪いのである。
そして会話は人数が少ないほうが楽しい。
大勢が集う宴会は、業務的な挨拶が終われば、さっと解散するのが粋と
いうものだろう。
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「宴会芸」でググったら、「ゆとり金閣寺」とかいうサイトがヒットした。
ライフネット生命の新人採用企画らしい。
そこに「なぜ新人に宴会芸をやらせるの?」という質問があり、最初の
回答者はなかなかいいことを書いていた。
が、2番目の回答者は「じゃあ外資系にしたら? でもすぐクビになる
かもね」という論点のすり替えをしており、こいつはインチキ野郎だと
思った。
新人に宴会芸を強要しない会社が日本で普通になったらいいな、とは
思わないのだろうか?
リクルート出身だから、そんな考えはないのだろうな。