枝雀らくごの舞台裏

私は桂枝雀があまり得意ではなく、師匠の米朝の落語の方が好きだった。
かっちりした芸の方が好みだったのだろう。
けれども、この本で紹介されている枝雀の落語を読むと、どれか一席
聴いてみたくなる。
もしかしたら、枝雀を襲名する前の小米時代の落語は、私の好みに合う
のかもしれない。



落語好きには常識だったのかもしれないが、私はこの本で立川談志
枝雀の関係を知った。
著者が両方と親しかったからだそうだが、166ページにこんなエピソード
を紹介している。

 お互いが……というより、枝雀さんのほうが家元を避けていたように思う。
これは南光さんが目撃した事件だが、あるパーティで家元が枝雀さんをつか
まえて、
「おい、枝雀。落語について語り合おう」と声をかけたところ、枝雀さん、
「すんまへん。わたい、理屈が苦手ですねん」と言って逃げて行ったという。
「『緊張の緩和』とか『サゲの分類』とか、ほんまは理屈が大好きなくせにねぇ」
とは南光さんの感想。


 確かにお二人の性格は対照的だったかもしれない。家元がポジなら枝雀さんは
ネガ。家元が太陽なら枝雀さんは月。でも、お二人の言うことはほんとによく
似ていた。いずれも落語が大好きで、いろんなことをやってみるものの、それらの
成果はすべて落語に回帰していた。理論的にも、共通する部分が多くあったし、
落語に対する真摯な基本姿勢という点では全く同じだったように思う。


 枝雀さんとお別れした時、家元が、
「おれに助けることはできなかったのか?」とたずねてくれたことがある。
その時、私は
「無理やったと思います」とお答えした。
「なんで?」と重ねてたずねられたので、
「家元は悪いことがおこったら全部ひとのせいにしはるでしょう。枝雀さんは
全部自分が悪いと思わはります。多分、お互いに理解しあうことは無理やった
と思います」と、今思えば実に失礼な回答をしたのであるが、家元は首をちょいと
すくめて、
「ウー、そうかもしれねえ」と少し笑ってくださった。


たしかに談志も枝雀も、型を突き抜けて自由奔放な話芸を模索していたと
思う。が、談志は古典落語に軸足を置いていたのに対し、枝雀は創作落語
力を注いでいた時期があって、方向性は少し違っていたのかもしれない。


ところで、志ん朝は六代目松鶴に惚れ込んでいたが、米朝一門とはあまり
おつき合いはなかったのだろうか?