昨日、読売新聞に連載されていた吉田修一の「怒り」が終了した。
東京であった夫婦惨殺事件と、その犯人らしき男と関わった3組の
家族の物語である。
「悪人」が映画化されたが、「怒り」はどうだろうか。
アンサンブルのように、別々の場所にいる人々の話が語られるので、
映像化はなかなか大変かもしれない。
モチーフになったのは、英国人女性を殺害し、逮捕される直前に逃走して、
大阪や沖縄の島に隠れていた事件だが、事件そのものは小説には全く反映
されていない。
小説に出てくる3組の家族は、それぞれ犯人らしい怪しい男とつながりを
持つ。読者は、いったい誰が真犯人なのかを考えさせられるのだが、終盤
になってあっさりと知らされる。
だが、事件の動機などは間接的にしか推測できず、本当のところはどう
だったのか、モヤモヤしたものが残る。
「悪人」もそういう小説だった。
ひとことで言うと、他人の過去が怖い、ということだろうか。
大人になってから知り合った人が、昔なにをやっていたのか、深く詮索
することはない。その人の言うことを信じるだけだ。
だが、もしその人が何かの事件に関係していたら?
それでもあなたはその人のことを信じられるだろうか、という問いかけ
があるような気がする。