修業論

修業論 (光文社新書)

修業論 (光文社新書)

本書によれば、修業というのは、自分が思いもしなかった能力が開花
したことを事後的に知ること、だそうだ。
事後的ということは、修業している間はさっぱり分からないので、一見
無関係に思えることも黙って従わねばならない。


こういう理不尽な徒弟制度は、現在では否定的に語られるが、内田樹
そうではないと言う。


私は修業などしたこともないし、ましてや武道家でもないので、その
あたりはよく分からない。
内心は、体育会系の奴隷のような関係は大嫌いなので、日本の徒弟制度
はそういうものではないかと疑ってもいるが、本当の修業というのは
どうやら違うようだ。



私がこの本を読んで思い浮かんだのは、映画「ベストキッド」である。

この作品でも、主人公は謎の日本人に就いて修業をする。


が、空手を習うと思っていたら、クルマの掃除や窓ふきやペンキ塗りを
させられ、なんでこんなことをしなければならないのか、と怒る。


しかし、実はそれらの動作が空手の型とつながっており、主人公は
実際に強くなることができた。


この映画の修業のイメージは短絡的かもしれないが、米国人にとっては
非常に東洋的なものに映ったかもしれない。
おそらく西洋には、武術的な修業というのはあまりポピュラーではない
のではないか。
すぐに使えるノウハウを教えるインストラクターはたくさんいるが、
修業をさせるマスターはいないのかもしれない。



本書で唯一気になったのは、空中浮揚に言及している部分である。
私は頭から否定はしないけれど、オウム真理教について一言あっても
よかったのではないかと思う。
麻原彰晃の空中浮揚はインチキだが、成瀬雅春の空中浮揚はインチキでは
ない、という証明をすべきではないだろうか。