エヴァンゲリオンを見ようと思ったら、まさかのチケット完売で
入場できず。急遽、「のぼうの城」とどちらにしようか迷ったが
「悪の教典」にした。
面白かったことは面白かったが、胸糞の悪くなるような作品だった。
こういう画面を撮影して映画に仕上げる三池監督が一番怖い人なの
ではないだろうか。なにしろ暴力に妥協がないのである。
伊藤英明はマッチョなサイコパスを好演しており、この映画には
ぴったりだった。
もし、堺雅人が演じていたら、線の細いイメージのサイコパスに
なって、より怖かったかもしれない。
三池監督には、尼崎ドラム缶死体遺棄事件をドキュメンタリーぽい
映画にしてほしい。
裁判が終わるまでは映画にできないのかもしれないが、樹木希林を
主演にしたらいいかもしれない。
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さて、ここからはチラシの裏である。(ネタバレあり)
「悪の教典」の主人公はサイコパスで、人を殺すことを何とも思わない
設定になっている。
だが、映画を見ていると、この人は何が楽しくて生きているんだろう、
と不思議に思った。
小説ではどう書かれているか知らないのだが、米国で知り合った同じ
嗜好を持ったサイコパスを殺すとき、僕はお前とは違う、という意味の
セリフを言っている。
ということは、主人公は殺人に快楽をおぼえるようなタイプではない
ように思える。
いや、愉しいのは愉しいのだが、それを目的にしていないと言うべきか。
つまり、彼は自分がサイコパスであることが発覚しそうになるときに、
ためらうことなく人を殺している。
あるいは、ウザい人間関係を断ち切るために殺人を犯す。
それがエスカレートして、自分の担任の生徒全員を散弾銃で殺しまくる
のだが、ほとんど発作的な殺人に見える。
一応、美術教師のせいにしようとしているが、なぜ体育教師が射殺され、
自分だけは助かったのかを説明できないだろう。
(どうでもいいが、体育教師のサスマタに主人公が投げた女子高生の
パンツがひっかかる場面があって、これが妙に面白かった)
こんなに無計画に大量殺人をしておいて、何とかなると思っているのが
サイコパスのサイコパスたる所以なのだろうか。
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ホラー映画のモンスターは、とにかく誰かを襲わなければならず、その
内面はブラックボックスになっている。
「13日の金曜日」のジェイソンが人を襲ってないときに何をしてるんだろう、
と考えるのは野暮である。
なので、「悪の教典」の主人公の内面や日常に言及してもしょうがない
のだが、なんで基本うちにいるときは裸なんだろう、とか、盗聴テープ
を毎日チェックするにはかなり時間がかかるが、そんなヒマがあるの
だろうか、などと突っ込みどころが多い。
たぶんそこがコントに転化できる部分であり、恐怖と笑いは紙一重なの
だろう。
マンガ家でいうと、稲中の古谷実のようなものか。