内田樹の「呪いの時代」のなかに“「草食系男子」とは何だったのか”
という章があり、その中にこういうことが書いてあった。

 草食系男子が採用している「弱くてかわいい」ペルソナというのはたしかに
多くの場合に有効だと思います。とりわけ、今の日本のように「弱者であること
の利益」がつよく意識されている社会では。でも、当たり前ながら「弱くてかわ
いい」だけで対応できる状況は限られています。対応できないとき、彼らは一気
にしばしばまったく似ても似つかない別のペルソナ(凶暴で攻撃的)に切り替わっ
てしまう。この二極のペルソナがあまりに隔絶しているので、人格が統合できな
い。まるで別人のようになる。卑屈なほど恋人に尽くしてきた男が、結婚と同時
にいきなり荒れ狂うDV男に変わってしまったという事例は実際に僕も知ってい
ますけれど、このような人格解離現象はペルソナの「数不足」で起きてしまうの
ではないかと僕は思います。(p 132)


これで思い出したのは、2000年代ぐらいからアニメで表現されている
二極化したペルソナである。
その嚆矢は「ひぐらしのなく頃に」ではなかろうかと思うのだが、私は
ゲームもアニメも見ていないので確定はできない。


オタクでない人に説明すると、普段は可愛いキャラクターなのだが、
ある時点で顔が豹変するのである。
たとえば、昨年の秋に放送されていた「C3(シーキューブ)」という
作品のヒロインの顔だが、通常は萌え系の顔である。

ところが、敵に遭遇するとこういう顔になるのだ。

まるで文楽人形のようである。


私はすごく違和感があって、その理由が分からなかったのだが、内田説
によると、ペルソナが不足しているから、ということで納得した。


要するに、キャラクターの掘り下げができないので、可愛い美少女か、
凶悪な殺人鬼の二種類しか表現できないのだ。


ただ、このような作品も市場で一定の評価をされているらしい。
ということは、そういう表現を好む人も多くいるのだろう。
私にはその良さが理解できないけれど。