「昔はワルだった」と自慢するバカ

「昔はワルだった」と自慢するバカ (ベスト新書)

「昔はワルだった」と自慢するバカ (ベスト新書)

私が嫌いなのは、微妙に重なる部分があるのだが、昔はヤンキーだっ
た自慢である。
そう言われても、だから何だ? としか言いようがない。


ヤンキーはバカだから、自分が過去に犯した過ちは、現在の自分が更
生していればチャラになると考えるのである。
自分で自分を勝手に赦すのだから世話はない。


話がずれた。


私が面白かったのは、第三章の「俗物」とはなにか? からだった。
俗物の定義については、福田恆存の「俗物論」を叩き台にして分析
しているが、どうもほとんどの人が何かしらの俗物に当てはまってし
まう。


結局、他人にとってどうでもいいことを自慢して不快にさせる人間を
俗物と言うのではなかろうか。
つまり、俗物どうしで気が合えば、それは「同好の士」とでも言うべ
きなのでは、と思う。


ただ、最後のページを読んでちょっとよく分からなくなった。

 私はここ数年、何とかして、こういう、権謀術数を弄して権力の座に
就く、というような「悪人」になりたいと思ってきた。毛利元就などが、
調略で中国地方を制覇したように、温顔と冷酷を使い分け、心にもない
ことを言い、懐柔と恫喝をもって、のし上がっていく、ああそういう人間に、
私はなりたい、なりたいのである。


 もちろん、殺人犯のような「悪人」ではない、本物の悪人である。世
間からは立派な人と思われているけれど、実は裏ではさまざまに工作を
しているというような悪人である。派閥を作り、マスコミにも息のかかっ
た者を配置し、手下には何かと手当をして、その権力を利用して、時ど
き人助けもするのである。


 どうすればそういう本当の悪人になれるのであろうか。

(P 191)


猫猫先生は、前にどこかで「プーチンのような男に憧れる」と書いた
ことがある。ああいう冷酷な顔で悪の限りを尽くしたいのだろうか。


素直に読めば、そういう悪人に憧れているんだろうな、と思うのだが、
まさかそんな人ではあるまい。


きっと、実際に悪人を知っていて揶揄しているのだろう。
本当は名前を明かしたいのだが、そうすると悪人に何をされるか分か
らない。だから、このように書かざるをえないのだ。


その悪人とは、いったい誰なんだろうか?