ガラパゴスという言葉に、あれほど日本人が怯えたのはわけがある。
その言葉の背後に、おまえら程度の奴らは、いつでも簡単に絶滅させ
ることができるんだぞ、という暴力的な思想が見えたからである。
新自由主義経済のもとでは、生き残ったものだけが正しい。
世界はより効率よくスマートに金儲けできるようにするべきだ、と
彼らは思っている。
世界をそのようにつくりかえる側、つまりルールを決める側にとって
は、ごく当たり前の考え方かもしれない。
だが、わたしたち日本人は、残念ながら一度もルールを作る側になっ
たことがない。
ひたすら、ルールに忠実なプレーヤーであろうとしただけだ。
なぜなら、ルールを決める側になろうとして、手ひどい失敗をし、二
度とそのような考えをおこさないよう去勢されたからである。
ガラパゴスと揶揄されたとき、我々は自信や誇りを持って反論するこ
とができなかった。
再び去勢される恐怖にからみつかれ、身動きがとれなくなった。
私は、ガラパゴスという言葉を平気で投げかける人間に、ルールを決
める側の傲慢をみる。
世界を自分の都合のいいように単純化しようとする奢りをみる。
しかし、世界はそれほどシンプルではない。
彼らの度を越した欲望は、いずれ自身の重みによって潰れるだろう。
それを目撃できるほど長生きできればいいのだが。