文学研究という不幸

文学研究という不幸 (ベスト新書 264)

文学研究という不幸 (ベスト新書 264)

これを読んで分かったこと。
・大学の先生には碌な人がいない
これだけである。


要するに、筆者が「なんで俺は東大教授になれんのだ」と恨みつらみを
書いているだけの本で、門外漢が読んでも面白くもなんともない。


建前を言うならば、学者というのは人類の知に少しでも貢献する仕事を
する人のことであろう。
コメ一粒、クギ一本、作れぬ奴らを補助金を出して養っているのだから、
せめて何をしているかを説明するぐらいはしなければならない。


その意味で、著書が一冊もなく、博士号もない人間が大学教授になって
いるのは確かにおかしな話である。


ただ、よく分からないこともある。


文学研究というのは、基本的には本を読んで自分の考えをまとめ、先行
研究にはないオリジナルなものを発表することだと思う。


この本を読むと、とにかく一流大学で研究するのがいいことだ、とある
けれど、ステイタス以外に何か理由があるのだろうか? 
私からすると、著者の名誉欲は異常に感じるのだけれど。


それから、語学講師は奴隷の仕事だ、とあるが、自分も大学で語学を勉
強したはずである。
教えてもらうのはいいけど、教えるのは嫌、というのは我儘では? 


たとえ三流大学のバカ学生が相手だとしても、それが与えられた仕事な
ら、バカを少しでも利口にするよう努力することで報酬が得られるので
はないかと思う。


一番の疑問は、著者は文学の研究が楽しくないのだろうか、ということ
だ。
どうも、文学の研究は大学教授になるための手段であり、芸術院や学士
院の会員になるのが最終目的なように読める。
(すでに本人は諦めているかもしれないけど)


ベストセラーが出て、著者の恨みつらみが少しでも晴れることを祈るば
かりである。