一対多

小中学生を相手に話をしていると、数人の生徒からいっせいに話しかけ
られることがある。


わしゃ聖徳太子か、と思うのだが、なぜそうなるか考えてみると、彼ら
は全体の状況を把握しておらず、私と一対一の関係で世界を構築してい
るのだ。


つまり、私が誰かと会話をしていることは分かっているのだが、ちょう
どキャッチホンのように、自分の会話の回線が常に優先されると思って
いるのだろう。


精神的な成熟が早い女子の場合、高学年になるとそういうことをする子
はほとんどいなくなる。
しかも、女子どうしのコミュニケーション度は男子よりも高くなるので、
いち早く全体の状況を把握しなければならない。
(いわゆる、空気を読む、というやつである)


ただし、言いたいことはちゃんとあるので、自分勝手に発言できない分
は、メールや手紙などの別の手段を使っているようである。
男子はそのようなツールを女子ほど使っていないので、中学生になって
も一対一の世界から脱皮できない子が多いのだと思う。


ところで、演芸や音楽の場合はどうなのだろう。
舞台に立っている人と聴衆の関係は一対多であるが、感覚的に一対一に
なっていることもあるのかもしれない。


この演奏は俺だけのためにやっているのかもしれない、と個々の聴衆に
思わせておいて、全体のグルーヴを高めるテクニックがあるような気が
する。


アジテーションというのはそういうものなのだろう。
一対多の関係にもかかわらず熱狂してしまうのは、小中学生の感覚に逆
もどりさせられているのかもしれない。