アイデアとお金の分離

「ゲームの教科書」という本

ゲームの教科書(ちくまプリマー新書)

ゲームの教科書(ちくまプリマー新書)

を読んでいて思ったのだが、どんな業界でも、面白いことを考える人と、
お金を出す人が別々にいる。


黎明期のゲーム産業では、面白いことを考える人と、お金を出す人は同じ
だった。というより、お金はほとんどかからなかったから、そのようにな
っていたのだろう。


これは、どんな産業でもそうだったのではないか。
ソニーとかホンダのような世界規模の企業でも、設立当初に商品を開発す
る人は、いちいち誰かにプレゼンして決めるということをしなかったはず
である。


このフットワークの軽さが、イノベーションを可能にしているのではない
だろうか。


ところが、企業の規模が大きくなるにつれ、アイデアを出す人とお金を出
す人が分かれてきて、手続きが面倒くさくなる。


しかも、どういうわけだか、お金を出す人のほとんどは、面白いことが何
かを理解できない。
むしろ、ものごとをつまらないように導きたがる。
実に不思議だ。


いわゆる「大企業病」といわれるものかもしれないが、これからは企業の
規模を小さくして、手続きを簡素化しないと、うまく生き残れなくなるの
ではないか、と思う。


私の経験では、面白いことが分かっている人どうしの間では、阿吽の呼吸
で意思が通じて、ややこしい手続きは必要ないので、非常に素早くものご
とが片付く。


プレゼンだのなんだのと、いちいち説明しなければならないのは、面白い
ことが分からない人が多いからだ。
しかも、説明しても理解できないものだから、わけのわからないことで妨
害される。


バカは何もしないからバカなのではなく、間違ったことを全力でするから
バカなのである。どうにかならんのだろうか。