自分の尺度

私の母は自分の尺度でしか物を見ることができない。


例えば、私がローマやロンドンの話をしたとする。
そのとき、必ず言うのがこれだ。
「で、それは松山でいうとどこになる?」


自分が知っているものに当てはめないと、ものごとを理解できない人は
私の母だけではないだろう。
そういう人は何も説明したくなくなる。


世の中には、あなたが知らないような場所があって、それはあなたの知っ
ているところのどこにも当てはまらないんですよ。
そう言っても、きょとんとして何も分からないだろう。


分かるということは、自分が変わるということだ、と確か養老孟司が言っ
ていたような気がする。
今までの自分ではなくなることで、人は初めて新しいステージに立てる。


つまり、自分の尺度だけでものごとを判断している人は、永遠にそのス
テージ以上には行けないのである。


なぜ自分が変化することができないのか。
それは、今の自分が最高だと思っているか、変化することが怖いからだ
ろう。
どちらにせよ、愚かなことである。


私はそういう人のことを、出身地がどこであれ、田舎者と思うことにし
ている。
残念ながら、我が松山にはそういう人があまりにも多い。
悲しいことである。