デリカシー

松本人志の「放送室」というラジオでは、しばしばデリカシーのない人間について
怒りをもって語られることがある。
道路に痰を吐くとか、エレベーターの中で他人がいるのに大声で喋るとか、そうい
うタイプの人のことだ。


私は他人からはどう思われているか分からないが、自分ではデリカシーのある人間
だと思っている。
なので、松本・高須の怒りには素直に共感できる。


彼らはひとしきり怒りをぶちまけた後に、でもデリカシーのない人間は周りのもの
がそんな不快な思いをしていることを想像すらしないだろう、と諦めたように語る。


そうなのだ。
言って分かるような人なら、最初からそんなことはしない。
本人が気づいて直すことがあればいいのだが、そういうチャンスは滅多にない。


逆に、デリカシーのない人間ほど、自分は他人に気を使っていると思いがちである。
そして、どうでもいいことを他人に注意して悦に入ることが多い。


そういう人と四六時中一緒にいると、胃が痛くなる。
こういうのを何ハラスメントというのだろうか?