進学校

秋葉原の無差別殺人事件の犯人は、中学までは優秀な成績だったので、県内
トップクラスの進学校に入ったが、そこで落ちこぼれたという。


もし、彼が中堅どころの高校や商業・工業高校に進学していたら、これほど
鬱屈することもなかったのではなかろうか。


というのも、進学校ではほとんどの生徒が大学に行くことを目標にしており、
県内トップクラスとなれば、ある程度有名なところを目指すのが当たり前の
雰囲気だっただろう。


しかし、彼は名も知れぬ短大に進学し、途中で中学教師になりたいと四年制
大学への進路変更を希望していたという。


最終的には自分の責任になるだろうが、一度ドロップアウトしてしまうと、
正社員に代表されるような社会の主流に入れなくなってしまう現実がある。
そのときに感じる絶望は、かなり根深いものがありそうだ。


私も社会のメインストリームから転げ落ちた口で、年収は低いし結婚はでき
ないし、将来どうなるかも分からない。


それでもなんとか生きているのは、いまの仕事のおかげだろう。
塾の先生というのは、私が中学や高校で勉強した蓄積があるからできている
わけで、進学校に行っていてよかったと思うからである。


それと、絶望を呑みこんでしまうと、たいていのことはどうでもよくなる。
あとは死ぬだけの人生だと納得すれば、それまでの間は単なる暇つぶしだ。
だったら、できるだけ楽に生きていこうと開き直れる。


進学校で順調に勉強していれば成り得ていたであろう自分と、現在の自分の
ギャップが、このような悲惨な事件になったのではないか、と考えると、プ
ライドというのは身を滅ぼす原因になることもあるんだなぁ、と思う。


生きているだけでラッキーだ、というぐらいまで堕ちてしまえばよかったの
に、と無責任だが思ってしまう。