新聞社

新聞社―破綻したビジネスモデル (新潮新書)

新聞社―破綻したビジネスモデル (新潮新書)

私が大学生のころだから、もう20年ぐらい前の話だ。
当時、私は家賃14000円の共同トイレ・台所の四畳半のアパートに住んでいた。


入り口で靴を脱いで上がると、薄いドアが並んだ廊下がある。
そのドアの中がプライベートな空間になっており、ドアにかかった鍵だけが外部からの
敵を防御するものだった。


あるとき、私が夜テレビを見てると、ドアを乱暴に叩く音がした。
誰何すると、ちょっと開けてくれという。
お人よしだった私は、何事かと思ってドアを開けた。
そこには読売新聞の拡張員が立っていた。


拡張員は私を脅し、三か月ほど新聞をとってくれと言った。
私は怖くなってハンコを出した。
奴はそのハンコを私の手からもぎとると、三か月ではなく半年分ペタペタと押して帰って
いった。通常もらえるはずの洗剤や野球のチケットもなかった。


その日以来、私は読売と名のつくもの全てを憎悪するようになった。
今も読売グループは大嫌いである。
現在、父親が読売新聞をとっており、いちおう私も目を通しているが、金を出してまで読
もうとは思わない。


貧乏な学生にも押し売りをする新聞社とは、いったい何だろうか、という疑問に答えてく
れるのが本書である。


新聞販売店には、押し紙と呼ばれる新聞社から多めに押し付けられる新聞があり、売れ残
った残紙は産業廃棄物になるという。
リサイクルされて再び新聞紙になるかもしれないが、残紙の量は37万トンにのぼると推測
されている。
果たして新聞社に環境問題を語る資格があるのだろうか。


後半には、著者が提案する業界再編案があって、これがなかなか具体的で面白かった。
いまは朝日・読売の二大勢力が拮抗しているが、第三の局面を作るために、毎日・産経・
中日新聞の三社が連合する、というもので、中日新聞が動けば現実味がある、という話だ
った。


おそらく30代以下の人にとっては、新聞は特になくてもかまわないメディアだろう。
老人ばかりが読むようになって、いずれは消えてゆくかもしれない。
それはそれでかまわないのだが、新聞に代わるメディアというのも、実はまだないのであ
る。


グーグルがやがてそういう権威を持つようになるのだろうか。
私は、記事の速報性ではそうなるかもしれないが、解説についてはまだ既存のメディアに
分があるのではないかと思う。


ただ、何かの事件があった場合、この人ならどう考えるだろうか、というように、個人に
権威が移る可能性は高い。
新聞も、これからどんどん署名記事を書いて、読者に記者の名前を憶えてもらわないと、
ネット上では対抗できないのかも。