マニュアル考

マニュアルはたぶん米国で生まれたものだろう。
伝統的な知の継承が不可能だったので、それを補うために発達したのだと思う。
(違ってたらごめんなさいよ)


そして、マニュアルは「こうやったら絶対に間違いない」ことが書かれている。
つまり、それ以外のことは排除されており、考えることを許されない。
ということは、解釈の自由度がほとんどない本、ということになる。


絶対に間違いのない(らしい)ことが書いてあって、それ以外の解釈を許さないってことは
マニュアルというのは一種の原理主義ではなかろうか。


実は、某こども英語教室の研修を受けているとき、どういう理論で教えているのか、という
説明があり、いろいろ疑問があったので質問してみたのだが、全く説得力のある話が聞けず、
逆にインストラクターが怒ってしまったことがあった。


そもそも、某こども英語教室の研修に来ている人は、心から幼児に英語を教えることに賛成
しており、それ以外の考えを持っている人が来ることは想定外だったようだ。


なるほど、これは研修というよりは布教というか洗脳に近いのですね、と思い、これ以上こ
とを荒立てるのはまずいので、その後は模範的な研修者を演じておいた。


分厚いマニュアルを使って研修をしている企業はたくさんあるだろうが、もともとは初心者
を即戦力にするために作られたものだろう。
なぜ初心者が即戦力にならなければならないかといえば、彼らが安価に雇用でき、すぐに使
い捨てることのできる労働力だからだ。


そういう人々がたくさんいる社会は、はたして豊かなのかどうか。
もう眠いし、私にはさっぱり分からなくなってきた。