サブカルとオタク

サブカルチャーというのは、メインカルチャーに対応する言葉で、日本におけるメインカルチャー
って何だろうと考えると、やはり古典芸能と呼ばれるものなのかな、と。


ところが、最近ではそうした古典芸能を愛好する人よりも、そうでないものを愛好する人の方が多
くなってきたから、数の上でいうと、どっちがメインでどっちがサブなのか、よく分からなくなっ
ている。


それに、何がメインカルチャーで何がサブカルチャーかを厳密に定めることはなかなかできないと
思うし、明確なラインを引く意味もあまりないだろう。


ただ、私が思うに、朝日読売毎日の大手新聞で評論があるかないか、がメインとサブの違いではな
かろうか。
クラシックコンサートや歌舞伎あるいは美術展覧会などは、それぞれに評論家がいてレビューを書
いている。


アイドルがいくら人数を動員したコンサートをやっても採りあげられることはほとんどないし、ア
ニメの評価をあれこれ言うこともない。


それでも、書評や音楽評ではライトノベルやマンガ、そしてロックやポップスなどの批評が載って
いるし、映画も割と間口が広くなってはいる。
新聞も商売だから、読者のニーズをある程度は取り入れているのだろう。


とはいえ、オタク界隈でディープな論争が繰り広げられている作品については、一切無視されてい
るように見える。私もそのあたりの事情は詳しくないから分からないのだが、そもそもオタクの方
も新聞に期待などしていないだろう。


そうすると、新聞に採りあげられるサブカルチャーと、そうでないものがあり、その曖昧な線引き
はどうなっておるのか、と突っ込む人がいてもおかしくはない。


最近はサブカルチャーとオタクという対立軸があるらしく、私なんかはそんなのどうでもいいんじゃ
ないかと感じるのだが、ちょっと考えてみた。


まず、公式としては、
サブカルチャー=オタク+ファッション
だと思う。
ファッション性がないものは、オタクで一括りにされているように思える。


ここでいうファッションとは、あるものを愛好している人の見た目である。
たとえば、鉄道や昆虫に関しては、おそらく世界レベルの深みを蓄えていると思うが、オタク的な
目線で紙面に載ることは(たぶん)ない。


逆に、ポップミュージックやスポーツだと、オタク的要素があるにもかかわらず、新聞で好意的に
扱われていることがある。愛好者がみんな格好いいわけではないにせよ、普通のファッションの人が
ほとんどだからではなかろうか。


好きなものに全精力を注ぎ込んでいれば、ファッションに興味がなくなるのも当たり前で、逆にファ
ッションにも気が回るようなものは、オタク的要素が薄いカルチャーなのではないかと。


もし、世間でオタクがサブカルチャーに昇格することがあるとすれば、それはその世界の第一人者に
スタイリストがついたときであろう。
エヴァ庵野監督なんかは、その分かりやすい一例かもしれない。
(それ以前に、世間が注目するようなものを発表してないといけないのだけれど)


これって「見た目主義」論に加担しているような気がするが、私自身はそういう風潮に違和感がある。
ていうか、こんな暴論は誰も読まないし鼻で嗤うだろうから、別にいいんだけど。


本文と写真はまったく関係ありません

从 ´ ヮ`)<ファッションにはめっちゃ気を使っとーよ