遠くの空に消えた

不思議な面白さがあって、劇場公開では大ヒットしなかったものの、後にカルト映画になるんじゃ
ないか、という予感がする。
なんていえばいいんだろうか、創作料理を食べてみたら意外と旨かった、という感じに近い。


ネタバレしているので隠します。




馬酔村(まよいむら)という架空の田舎に美少年が転校してくる。
この村は空港建設予定地になっており、地主や村人たちはそれに反対している。
美少年の父親は、建設を推進するために中央から送り込まれた役人(?)だが、実は彼も馬酔村の出
身だった。
大人たちのいざこざとは別に、子どもたちにも軋轢があったものの、最後は団結して麦畑にミステリ
ーサークルを作る、というのが物語の軸である。


他にも、父親がUFOにさらわれたと信じている少女や、意に沿わぬ相手と結婚させられる女教師や、
鳩を買っている頭の弱い青年など、変てこりんなキャラクターがたくさん登場し、それぞれのスト
ーリーが最後になってうまく昇華されている。


キャスティングも申し分ないし、映像的表現も豊かな作品なのだが、どこかしら違和感がある。
私は見ている途中で気がついたし、たぶん多くの人が指摘していると思うが、これは実写版の宮崎
アニメなのだ。
そういう補助線を引くと、村の青年団が昔のマンガに出てくる悪役みたいだとか、酒場のインチキ
くさい雰囲気など、妙に引っかかる部分がすっきりする。
青年団のボスの情婦たちのパンツが色気のない白いやつなのも、宮崎アニメっぽいです)


特に、酒場の女主人が啖呵を切るところや、巨大な人工翼を背負った青年と女教師が邂逅するシー
ンは、モロに宮崎作品へのオマージュだと感じる。


また、地元の農民たちの土着のコミュニズムというか、70年代の左翼っぽい団結の様子も、これま
での宮崎・高畑ラインの作品を彷彿とさせる。
ただ、宮崎・高畑作品では、そういうものをマジに表現していたのに対し、この映画ではどこか客
観的で笑いを誘うような仕上がりになっているけれど。


余談になるが、恐らくこうした70年代から80年代に力を持っていた左翼的な運動に対して、これか
らいろんな人が批判的かつ惜別の情を持って表現していくだろう。
たとえば「滝山コミューン一九七四」のような作品を通じて。

滝山コミューン一九七四

滝山コミューン一九七四


それはともかく、宮崎アニメと決定的に違うところは、主人公の少年が空を飛ばなかったことだ。
遠くの空に消えた」では、空を飛んでいくのは鳩を飼っていた青年だけである。
主人公たちは、逆に地表でミステリーサークルを作っているし、女教師も青年と一緒に飛行するこ
とはない。
これが「遠くの空に消えた」でカタルシスを感じられない一番の理由だと思う。


なぜ、少年に空を飛ばせなかったのかは分からない。
もしかしたら冒頭のシーンで、大人になった主人公を初めて飛行機で(つまり空を飛んで)馬酔村
に到着させたかったからかもしれない。


と、私のデタラメな解釈はともかく、神木隆之介の美少年っぷりや、ささの友間の悪ガキっぷりと
いった二度と再現できない一瞬をフィルムにおさめただけでも、この映画には価値があるといえる。
長塚圭史助演男優賞ものだし、高橋真唯のスチュワーデス姿も可愛かった。
ハロプロの女の子に慣れている目からすれば、大後寿々花はそれほど美少女には映らないのだが、
演技は抜群だったし。


劇場で見逃した人も、DVDが出たらぜひ借りてみてはいかがだろうか。