山おんな壁おんな

フツーに面白かった。
脚本も演出もキャスティングもこなれており、いくら伊東美咲が主演とはいえ、そこそこ
楽しめるのではなかろうか。


ところで、私は女ではないから分からないのだが、おっぱいは男に性的なアピールをする
以外に何かいいことがあるのだろうか? 
ドラマでは、女も女の巨乳が好きだ、という設定になっているが、本当にそうか疑問だ。


バストの大小が気になるのは、男の視線を意識するからである。
フェミニストは、そうしたエロス的なまなざしで女性を見ることを糾弾するだろう。
しかし、ほとんどの女はやはり男に美しいと思われたいのであり、自分が利用できるもの
は何でも使って、意中の男を獲得したいはずだ。


ただひとつ誤解があって、全ての男は巨乳が好きなわけではない、ということだ。
そもそも「巨乳」という言葉が人口に膾炙したのは「巨乳ハンター」というマンガのおか
げではなかろうか。

それまでは「ボイン」とか「グラマー」とか言っていたように思う。


女性のどのパーツが好きかは、けっこう民族的な偏りがあって、アメリカ人はおっぱいが
好きだが南米はお尻が好きである。
かつての日本だったら、襟足とか足首などの和服からチラッと見える部分に魅かれていた。
夏目漱石の小説では、やたらと女の髪型が描写されているが、漱石は黒髪フェチだったの
かもしれない。


もっとも、細かいことを言い出せば、ウェストが細いのにグッとくる男もいれば、美脚に
ラクラする男もいるわけで、好みなんて千差万別だ。
それは女が男のどういうところを好きなのかと同じだろう。


なのに、「男はみんな巨乳が好きなんでしょ?」と一律に扱われるのはいかがなものか。
(ただ、大っ嫌いだ! と断言できないところが男の哀れなところなのだが‥‥)
エロス的な選択にも多様性が認められるべきで、メディアが巨乳だ巨乳だと騒ぐことで、
価値を一元化しようとするのは間違っていると思う。


ドラマの話に戻ると、伊東美咲は自分で勝手に悩んでいるだけで、単なる気の持ちようの
問題である。
女の幸せは、胸がでかいかどうかということではなく、好きな男に愛されるかどうか、と
いうことだから、物語の着地点もおのずと決まっているのだ。


ところで、西島秀俊の役作りがNHKの朝ドラ「純情きらり」の杉冬吾にそっくりなのだが、
あれはいいのだろうか。せっかく覚えた津軽弁を再利用しているみたいだ。


本文と写真はまったく関係ありません

从釻v釻)<ああそうさ! あたいが壁おんなさ!