デモとホワイトバンド

橋本治の本を読んでいたら、日本でクーデターがあまり発生しないのは、豊臣秀吉が刀狩で
民衆から武器を奪い、以後ほとんどの人が武器を持って戦わないようになったからだ、と書
いてあった。


では、一般大衆が何らかの武器を持ち、リアルに戦う想像力を持っている国なら、暴動やク
ーデターが頻発するのだろうか? 
私にはそうは思えない。少なくとも先進国では起こりにくくなったのではないか。


例えば米国である。
国内に10億丁も銃があり、民兵だっている。
もし起こるとすれば、軍人が大統領を引きずりおろし、自らが大統領になることだろうが、
米国市民は絶対に納得しないだろう。
彼らは、自国のシステムが世界一であると信じ込んでおり、そのシステムによって選ばれな
い指導者は認めないはずだ。


ほとんどの先進国では、クーデターを起こそうとしても、大衆の支持を得られないし、メデ
ィアを一元化できないから、実行不可能だろうと思う。
政治に不満があるなら選挙で変えればいい、と多くの人が考えるようになるのが、いわゆる
「民主主義」の成熟というものだろう。


その一方で、デモ行進はどこの国でもやっている。
ウクライナオレンジ革命みたいに、政権を交代させるようなデモもあるが(米国による謀
略説もある)、ほとんどの場合は行進しておしまいである。


日本でデモが盛んだったのは60年安保闘争のときだと思うが、あれほど学生が騒いだにも関
わらず、政治は変わらなかった。
この挫折によるシラケが、後の世代に与えた影響は大きいと思う。
熱くなって騒ぐこと=ダサいことになったのだ。


しかし、連帯したいという欲望は消え去るものではない。
数年前に変な流行をしたホワイトバンドは、そのひとつだと思う。
貧困をなくそうというメッセージは左翼系のデモ行進の人も訴えているが、そのメッセージ
を広告するとき、若者が格好いいと思う有名人を使ったのがうまい手段だった。


その後、ホワイトバンドには問題があるとして、急速に世間から消えてしまったが、方法と
しては間違ってなかったと思う。
つまり、これまでダサいと思われていた行為も、広告によってうまく大衆運動に盛り上げて
いくことができる、ということである。


ただ、それって広告代理店の陰謀なんじゃねーの? という疑いも出てくるだろう。
人の善意が悪用される世の中である。
うかうかと乗せられないぜ、という人がいるのは、むしろ健全なことなのかもしれない。


そうやって、連帯と疑いのジレンマを解決するには、どっかで他人を信じないといかんのだ
ろうな、とは思うが、その一歩がなかなか踏み出せないのも事実なのだ。
プラカードを持った行進に代わる連帯のデモンストレーションを考えてみようという行為も、
やはり左翼っぽいからダサいのかな。


本文と写真はまったく関係ありません

サイリウムによる連帯と挫折