熱血!! コロコロ伝説

コロコロコミックの復刻版である。
一冊1000円(税込)は高いので、自分が読んでいた vol.3 までしか買わないけど、こういう商売
をしなければならないほど行き詰ってんのかなぁ、と心配になる。


1977年の創刊当時、私はメインターゲットの読者層のど真ん中にいた。
もう、何もかもが懐かしい。そして、いまの自分が情けない。


創刊号の表紙は、ドラえもんのロゴがコロコロコミックのロゴよりも大きかったのを憶えている。
つまり、この雑誌はドラえもん+その他のマンガとしてスタートした。
これはどういうことか? 


かつて児童マンガというジャンルがあり、多くのマンガ家が小学生向けの作品を発表していた。
それらは今見ると牧歌的でほのぼのしており、子供向けに抑制された内容だった。


やがて、マンガを読み始めた小学生が中学生、高校生になっていくと、掲載する雑誌も読者の成
長に合わせて新しく作られていった。
マンガ家は大人なので、抑制されたことを描くよりも、自由に描ける方を選ぶ人が多かった。


そんな中、藤子・F・不二雄(当時はまだ藤子不二雄)は、子供向けのマンガを描き続けた。
少年誌に「エスパー魔美」や「TPぼん」など、成人向けにSF短篇の傑作を発表しているが、
メインの仕事はあくまで児童マンガだった。
それは手塚治虫の衣鉢を受け継ぐことだったが、気がつくと児童マンガの第一線で戦っていたの
は、「ドラえもん」を描いていた藤子・F・不二雄だけになっていたのだった。


つまり、コロコロコミック創刊当時の小学4年から5年生ぐらいの読者層は、小学館学年誌
ドラえもん」を読むしかなく、かといって週刊少年マンガ誌を読むには幼すぎた。
だが、すでに児童マンガは衰退し、メインの作家はほとんどいない。
いわば、マンガ雑誌の空白地帯があったわけである。
そこで、「ドラえもん」をたっぷりと再録した雑誌を創刊した、という戦略だったのではないだ
ろうか。


最初は慎重に季刊、1年後の78年に隔月刊、その約1年後の79年に月刊化された。
月刊時代になると「ゲームセンターあらし」などの連載が始まり、「ドラえもん」以外にも人気
のある作品が掲載されるようになってきた。
ただ、80年から映画化と連動した「大長編ドラえもん」がスタートしており、雑誌の人気は依然
として藤子・F・不二雄に支えられていたと思う。


私はその一年後ぐらいでコロコロコミックを卒業してしまい、少年誌や青年誌を読むようになっ
たので、ミニ四駆ベイブレードの連動企画については全く分からないが、かつて表紙を大きく
飾っていたドラえもんの絵が小さくなってしまったのを見て、寂しさを覚えたことはある。


そうしたゲームやオモチャのタイアップが主流になったということは、子供向けのマンガにも
消費という行為が浸透していったんだろうなぁ、とぼんやり考えた。
たぶん、作品の中から貧乏は消えたのだ。


復刻版を読み返してみると、マンガ家というのは過酷な仕事だなぁ、と思う。
vol.1 に掲載されている作家で、現在もマンガを描いているのは、はしもとみつお六田登ぐら
いではなかろうか。
しかも、彼らも今は児童マンガを描いてはいない。


ドラえもん」を30年以上描き続けた藤子・F・不二雄がいかにすごかったかが分かる。


余談だが、77年当時はスポーツといえば野球だったのですね。しかもジャイアンツ中心。
サッカーマンガは、Jリーグ誕生までなかったのだろうか。
あと、内山まもるウルトラマンのマンガはなんか好きだったなぁ。
一方、かたおか徹治ウルトラマンでは、帰ってきたウルトラマンが酒場で酔っ払ってたりして、
いま読むと笑ってしまう。泉昌之かと思ったw


本文と写真はまったく関係ありません

30年後のゴリポン君