華麗なる一族

華麗なる一族〈上〉 (新潮文庫)

華麗なる一族〈上〉 (新潮文庫)

読んでいるとき、これほど苦痛を感じたのも久しぶりだ。
読者を物語の流れに引き込むようなドライブ感がなく、取材したレポートを読まされているような
小説だった。


誰かが書いていたが、丸を説明するために線で○を描いて、これですよ、というのが「説明」で、
周りを黒く塗って○を浮かび上がらせるのが「描写」なんだそうだ。
山崎豊子の小説は基本的に「説明」だけで書かれており、そこに文学的な要素がないことを批判
する人も多いだろう。


だが、彼女の小説をたたき台にしてドラマやマンガにすると面白いのも事実で、「白い巨塔」の大
ヒットは記憶に新しいところだ。
この「華麗なる一族」のドラマにしても、突っ込む部分は多々あれど、視聴率はいい。


つまり、文学作品としては三流だが、ドラマの原作としては一流ということだろうか。
もちろん、そのまま映像化するのではなく、ちゃんと脚色すれば、の話だが。


今だと、ある業種を徹底的に洗って、それを分かりやすくプレゼンできる取材専門のプロダクショ
ンがあればいいのかな。
そういうリサーチの強度が、ドラマに厚みを与えるといいのだけど。


以下、ネタバレするので隠します。




ここでは万俵一族の性的側面を見てみたい。
まず、主人公の万俵大介はドラマにもあるように、妻の寧子と愛人の高須相子を同居させ、ときには
妻に愛人と3Pすることを強要している。
万俵大介は60歳ぐらい、妻と愛人は40歳ぐらいである。


そういえば、なんで万俵大介は20代の愛人を持たないのだろう、と思ったのだが、銀行の頭取という
立場では、弱みになるようなものを持てないから、と説明されていた。
だから、妻妾同居は誰にも知られてはならない秘密なのだ、と。


ところが、他の登場人物たちは愛人こそ囲っていないものの、芸者遊びをして性欲を発散させている、
とある。万俵鉄平も例外ではない。
ドラマでは妻だけを愛する男になっているが、小説では「若い妓をよんでくれ」という台詞がある。
万俵大介も、たぶんときどきはそうしていたのだろう。
万俵銀平はパーで遊んでいる、とあるから、ナンパして次から次へと女を落としていたものと思われ
る。


一方、女たちは当時の性的モラルが厳しいせいか、なかなか遊べない。
基本的に嫁ぐときまで処女であることを当然とされていたようだ。


この、万俵家の男と結ばれるまで処女だったかどうか、というのは意外と物語の中ではっきりと差別
化されており、処女でない女は最終的に不幸になっている。


高須相子は、万俵大介の愛人になる前に米国人と離婚しており、愛人として万俵家の閨閥結婚を差配
して権力を握ったものの、銀行合併後は大介にマンションと手切れ金を渡され、棄てられる。
安田万樹子は、万俵銀平と結婚する前に大学生と付き合っており、今だとどうということはないはず
だが、誰にも知られてはならない秘密になっている。彼女は銀平の子供を流産し、二度と妊娠できな
い身体となって実家に戻り、ほどなく離婚している。


これに比べて、万俵二子はどうだろうか。
高須相子が手を回す相手を断り、自分が好きになった一之瀬四々彦と結ばれている。
結婚まで処女を守った女は幸せになり、そうでない女は不幸になるという考え方は、この作品が書か
れた時代の支配的なイデオロギーなのだろうか。
今の若い娘たちの、何でもありの状態を山崎豊子はどう思っているのだろう。


ところで、物語の終盤で、万俵鉄平は猟銃で自殺するのだが、そのとき父親の万俵大介は初めて息子
の血液型がB型だということを知る。
戦時中の血液検査ではA型とされ、このことが自分の息子ではなく先代の息子ではないかという疑惑
になっていたのだが、検査ミスでした、というオチだった。


‥‥大企業の経営者たるもの、年に一度は健康診断をしないのだろうか、という突っ込みもあるが、
とうてい「白い巨塔」を書いた人のアイディアとは思えない。
隔世遺伝による疾患を疑うとか、もっとあっただろうに。


ていうか、万俵鉄平が自殺する動機もよく分からない。
そういう精神的に弱い人物として描かれていなかったはずだ。
このあたり、ドラマではどうなるのか楽しみだ。木村拓哉は自分が負けて自殺するラストを選ぶのだ
ろうか? 


本文と写真はまったく関係ありません

从*・ 。.・)<未来の旦那さまのために、大切に守っておくの