餅つき屋

私の実家では毎年年末になると餅つきをする。
もはや町内で餅をついている家庭はうちぐらいなものだろう。
いまは老夫婦である両親と私だけなので、必然的に私がほとんどの餅をつくことになる。


なんでこんなにまでして餅つきをしなければならないのか分からないのだが、私の母親が
ガンとして止めることを許さないのである。
うちは北朝鮮みたいな家庭なので、母親がそうだと言えばそうなるのだ。ひどいなぁ。


それでも、自分でついた餅はやはりそれなりにおいしい。
市販の切り餅なんかは、水っぽい味がして食べられたものではない。
そういう意味では贅沢なのかもしれない。


関東では、のし餅を切って長方形にするが、関西では手でちぎって丸める。
私の地方では「餅をもむ」と言う。きれいな形にするには、手早く絞るようにしなければ
ならない。私はけっこう上手だが、これほど役に立たない技術もあるまい。
どうせならおっぱいをもみたい。


朝日新聞桂米朝の「米朝 口まかせ」という談話が掲載されており、毎週切り抜いている。
12月13日付けには、餅搗き屋の話があった。

 早いもんで、もう師走ですな。今、年末に餅を搗いている家は滅多に見ませんな。昔は餅搗き屋
という商売があって、町内を餅搗きながら回ってました。なんで来なくなったんかと訊いたら、火
をおこせる空き地がなくなったからなんやて。餅米を蒸すことも、臼を据えてポンポン打つことも
しづらくなって、いつの間にか無くなってしもた。私の子供時分には必ずどっかで搗いてたんやけ
どね。(中略)


 私の出身地、姫路にも餅搗き屋は居てました。けど、ウチの近所は半農の家が多かったんで、餅
搗き屋には頼まずに大抵自分とこで搗いてましたなぁ。大概どこの家にも石臼や杵があったしね。
我が家にもありましたが、ウチは神社でしたから、方々からお供えとして入ってきたために、お餅
には事欠きませんでした。(中略)


 私は雑煮が好きでね。毎年、正月になると、重箱のほうにはあまり手を出さへんのやが、雑煮だ
けはどんどんおかわりしますな。雑煮は関西全体では味噌仕立ての所が多いようですが、ウチは親
父の好みやったんか、すましでした。青菜が必ず浮いてて、そこへ、人参、大根、出し汁は鰹と昆
布、両方使うてたと思います。


これを読んで、本当に餅搗き屋なんていたのかと思っていたのだが、私の父親に訊いてみると、
実在したという。
父親は松山からかなり外れた所に住んでいたのだが、年末になると臼や杵や蒸し器を大八車に
積んだ餅搗き屋が、村から村へやってきていたそうだ。


当時(昭和10年代)は農家が多かったから、餅米は容易に手に入った。
それを半日前ぐらいから水につけておいて、餅搗き屋を待ったのだそうだ。
やってくると、3人ぐらいの男があれよあれよという間に餅を搗き、ちぎっては丸めてくれた
らしい。


こういう商売は年末しかできないだろうから、普段は農業か何かをしているんだろうけど、一日に
何件も餅を搗いてまわるというのも、なかなか疲れる話である。


そういえば、電気餅つき器というものがあり、昔はCMも流れていたものだが、あれはどうなった
のだろう? 今でも使っている家庭があるのだろうか。


雑煮は旨いので正月に限らず食べたいのだが、何となく作りそびれるものだ。
私はすまし仕立てで、大根や人参が入っているのが好きだが、東京風の鶏肉やカマボコを入れて
あるのも自分で作って食べることがある。
結婚すると、意外と自分が食べてきた雑煮が相手のものと違うことに気がつくそうだが、私には
関係のない話である。


本文と写真はまったく関係ありません

从 ´ ヮ`)<れいなの家の雑煮は旨かよ!