成功=(才能+努力)×運

世の中では、まだ一応は努力が尊ばれているが、才能や運だけで成功している人もたくさんいる。
もちろん、私は努力を否定しているわけではないが、努力したら必ず報われるわけでもないことも
知っている。


で、
成功=(才能+努力)×運
という方程式を考えてみた。


例えば芸能関係の仕事は、ほとんど運と才能で決まる。
芸人でも、面白くない奴はデビューして何年経とうが決して面白くならない。
運や才能というのは、努力してもどうにもならないのである。
残酷な事実だ。


勉強でもそうである。
もとから頭のいい奴というのはいて、もちろん努力もしているだろうが、できない奴に比べると
非常に楽をしているように見える。


じゃあ、才能のある奴は努力しなくてもいいのかといえば、そうでもない。
天才というのは、練習が苦にならない人間のことである、と誰かが言っていた。
尋常でない練習量=努力が嫌にならないのも立派な才能かもしれない。


また、才能とは夢を見続ける力のことですよ、と鴻上尚史は繰り返し述べている。
諦めなければ道は開けるものかもしれない。運も呼び込めるかもしれない。
努力すれば夢は叶う的なニュアンスも感じられるのだが、これまで多くの俳優たちの
栄枯盛衰を見てきた人の言葉だけに説得力がある。


問題は、いかに早く自分の才能を客観視できるか、である。
もっと言うなら、自分がどのくらい平凡であるかを若いうちに見極めなさい、という話だ。


中高生ならともかく、二十歳を超えたらだいたい自分が分かるはずだ。
ほとんどの人間はフツーで、特別な才能なんかないってことに気がつく。
それを見て見ぬふりをするから人生を誤るわけですな。


平凡はつまんないことではない。
そこそこの日常を維持することがどのくらい大変か、という話は山ほど語られている。
普通の人は、偉いのである。


それに、非凡な人は、フツーに生活しているつもりでも、どっかで突出してしまうものだ。
まず、平凡な安定を手に入れて、まだ足りなければ自分の非凡を探っていけばよろしい。
いまは、その非凡さを発表できるツールがたくさんあるわけだしね。


‥‥って誰に向けて書いているか分からなくなったけど、いちおう過去の私に向けてって
ことで、ひとつ。


本文と写真はまったく関係ありません

榮倉奈々


北澤豪って


似てね?