独裁者と都市計画

夢と魅惑の全体主義 (文春新書)

夢と魅惑の全体主義 (文春新書)

この本を立ち読みして、そういえば独裁者というのは何かしら建築物をぶっ建てている
なぁ、と思った。
買おうかと思ったけど、新書で1000円を超えるものはちょっと‥‥
(いや、この内容だったら安いとは思うんだけどね)


独裁者に限るわけではないけど、都市計画というのは誰か強権的な人がいないと、クリアな
ものはできないのではないかと思う。
いろいろ話し合って、民主的に意見をまとめました、じゃダメなこともあるのだ。


例えば、大阪の御堂筋は關一(せき はじめ)が強硬に主張したから、あの広さになったの
であって、みんなの言うことを聞いていたら、もっと狭い道になっていた。
また、後藤新平なくば、東京都の道路事情はどうなっていたか分からない。


もっとも、先進的な発想の都市計画には光と影があって、昔からの町並みを破壊してしまう
というデメリットがあるのは確かだ。
だからこそ、関東大震災東京大空襲の後は千載一遇のチャンスだったとも言えるのだが、
不謹慎な発言かもしれぬ。


独裁者で思い出したのは、ルーマニアチャウシェスク大統領のことである。
米原万里の「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」には、こう書かれている。

 フランスかぶれのチャウシェスクは、旧市街に住んでいた人々を有無を言わさず追い出し、
建物は片っ端から破壊して、パリの街並みのコピーを作り出そうと企てた。この大土木工事
に飢餓輸出で捻出した大量の資金を投入した。メインストリートは、もちろん「シャンゼリ
ゼ通り」である。しかし、世紀の大土木事業を成し遂げぬうちにチャウシェスクの命運尽き
て、事業も頓挫した。


一方、Wikipedia の「ブカレスト」の項には

1967年に就任したニコラエ・チャウシェスク大統領は、スピーレア教会、コトロチェニ修道
院など中世から残る古い教会を含む多くの歴史的建造物を破壊し、無機質な社会主義的計画
都市に代えていった。このような都市計画は1971年に北朝鮮平壌を訪問した時にその着想
を得たという。特に市民センターや議会宮殿などにそれが顕著に現れている。それでもいく
つか歴史的な地区は残ったものの、かつて「東欧の小パリ」と呼ばれた美しい街並みの面影
は殆どない。


とある。


チャウシェスクが何を思って都市計画を立てたのかは意見が分かれるところだが、とにかく
「ここにパリを作れ」と言って、実際にやっちゃうところがすごい。
強制退去させられた人はたまったものではないと思うが。


そういう計画都市の対極にあるのが香港だと思う。
ただ、返還前に行ったっきりなので、今はどうなのか知らない。
それでも、よくまあ無秩序に建物をつくったものだなぁ、と思った。
植民地支配していた英国人は、どうでもよかったのだろうか? 


で、いきなりローカルな話になるのだが、私が住んでいる松山市は、街の中心に松山城
でん、と構えており、間違いなくランドマークになっている。
小さい山の上に城があるので、その山の周りを迂回しなければならないのだが、不思議と
「邪魔だ」という声はきいたことがない。


JR松山駅伊予鉄松山市駅が接合してないなど、都市計画が未熟な点もあるのだが、松山
城(地元の人は『お城山』と呼んでいる)がある限り、この街は大丈夫なような気がする。


考えてみれば、江戸時代の古城は全国至るところにあって、ちゃんと都市の中に溶け込んで
いるのがすごい。
その意味では、いまも人々の思考のフレームは江戸時代と同じなのかもしれない。


本文と写真はまったく関係ありません

( ´酈`)<なに時代でも、のんはのんなのれす