きりひと讃歌

きりひと讃歌(1) (手塚治虫漫画全集)

きりひと讃歌(1) (手塚治虫漫画全集)

全身が犬のようになる奇病を研究する医師が、大学病院の陰謀によって同じ病気に
され、辛酸を舐める話である。
山崎豊子の「白い巨塔」を思わせる、大学病院の不条理な描写が光る作品だ。


手塚治虫ビッグコミックに連載した大人向けの作品は「地球を呑む」(68〜69年)、
「I.L」(69〜70年)、「きりひと讃歌」(70〜71年)、「奇子」(72〜73年)、
「シュマリ」(74〜76年)、「陽だまりの樹」(81〜86年)とある。


私は、「きりひと讃歌」と「奇子」(あやこ)の裏テーマは、前近代的な人間の
無知蒙昧さではないかと、思う。
ハッキリ言えば、田舎モノはバカだ、と痛烈に批判しており、高度成長期という
時代背景もあるが、かなり鋭い指摘だという気がする。


この「きりひと讃歌」は、手塚治虫が劇画タッチの絵にギアチェンジして成功した
作品だといえる。
夏目房之介は「手塚治虫の冒険」という本の273ページで

 ひじょうにシリアスな話ですから、犬の顔になってしまう主人公がリアリティを
もたないとぜんぶペケになってしまいます。
 『バンパイヤ』のころのマンガ的な動物描写だと、そこまでリアリティをもつ
ことができません。でも『きりひと讃歌』の、主人公の犬の顔を描く描線は、手塚
的な描線と、劇画的な描線とがちょうど均衡するところで描かれているように見え
るんです。だとすれば、ここで手塚的劇画描写法、手法が一応着地したとみるべき
でしょう。

と言っている。


私が注目したのは、人間の顔の描き方というか、狂気の表し方である。
このマンガには主人公の同僚の医師で占部という男が出てくる。
怜悧な性格だが、医学に対する真摯な姿勢も持っている。
こんな顔だ。

これは、まだ劇画的な手法を用いていない場合である。


物語が進んで、医学部教授の理不尽な態度に怒りを表す場面になると、このような
顔になる。

まさに劇画である。同じ人間とは思えない。この顔のアップは1ページのほぼ全部を
使っている。


さらに話が進行して、とうとう占部は発狂する。そのときの顔がこれだ。

もはや輪郭もないほどページいっぱいに顔が広がっている。ちなみに次のページでは
こうなっている。

メガネが中空を漂い、精神的な崩壊を表しているように見える。


この方法が気に入ったのか、手塚は次回作の「奇子」でも同様の手法を使う。
まず、ノーマルな描写はこうだ。

そして、この男が殺人を決意したときの顔がこれである。

まさに「きりひと讃歌」の占部と同じパターンだ。
しかし、なぜかこれ以降、手塚はこの描写方法を封印しているようだ。
(ようだ、というのは、私がそれ以降の全作品を読んでいないからである)


劇画ブームが過ぎ去り、また元の抽象化された絵で表現できるようになったからかも
しれないし、実は不評だったのかもしれない。私は好きなのだが。


藤沢とおるを代表するマガジン系のマンガで、ときどきリアルに描かれた表情を見ることが
できるが、もしかしたら手塚の表現の末裔なのかもしれない。
ただし、半分は笑いをとるための手法になっているけど。


おまけ。痛みを表現したページ。

うーん、痛そう。