夜のピクニック

夜のピクニック (新潮文庫)

夜のピクニック (新潮文庫)

恩田陸の本を読むのは初めてだ。
「光の帝国」というドラマは見たことがあるのだが、それほど面白くなかったので
原作にまで手を伸ばさなかった。


一読して、なるほど本屋大賞をとるだけあるなぁ、と思った。
平易な書き方なのだが、うまいのである。


あらすじはすでにご存知だろう。
地方の進学校で、朝の8時から翌朝の8時まで、途中2時間の仮眠を挟んで80kmを歩く
歩行祭」という伝統行事があり、その出発からゴールを描いた物語だ。


主役は二人いて、ひとりは西脇融というぶっきらぼうで人を寄せ付けない印象のある少年。
もうひとりは甲田貴子という少女。ともに高校三年生だ。
実は二人は異母きょうだいで、西脇の父親が浮気してできた子供が甲田貴子なのだが、
このことは誰にも言わず、秘密にしている。


西脇融は甲田貴子の存在を一方的に憎んでおり、甲田貴子もそのことに気づいている。
なぜか三年生のときに同じクラスになるものの、お互いにほとんど話せない状態が続いて
いる。
そこで、甲田貴子は高校最後の歩行祭で、西脇融と何か話をしようと秘かに決意するの
だが‥‥というストーリーで、西脇融と甲田貴子の視点で交互に語られる。


ただ歩いているだけなのだが、それぞれの交友関係や意外な告白によって彩られており、
まったく退屈しない。見事なものだ。


しかも、地方の進学校の生徒の考え方というか雰囲気が全体を覆っている。
それが鼻につく人もいるかもしれないが、こういう生真面目なトーンがないと、歩行祭
いうフィクション自体がうまく成立しないような気がする。
(だって、24時間歩くなんて、真面目な生徒じゃなかったら誰がやる?)


あと、これはさんざん言われていることだと思うが、「父の存在の欠落」がこの小説の
裏テーマになっている。
ひとつは、主人公の異母きょうだいの父親で、ふたりが中学生のときに胃癌で死んでいる。


知ったかぶりのフロイト的解説をするなら、実は歩行祭という行事自体が「父的なもの」
であり、理不尽な困難をあらわしている。
なので、最後まで完走(歩?)したときには、すでに「父的なもの」を克服しているのだ。
主人公たちの間に欠けていたピースは、80kmを歩ききることによって埋まるのである。


もうひとつは、物語の最初の方にある、他の女子高の生徒を妊娠させた生徒を探す、と
いうエピソードだ。
しかし、その生徒は、最後まで見つからず、どうでもいいことになっている。
あれほど伏線を張っていたというのに。
なぜ? 


それは、妊娠した女子高生が、歩行祭に参加してないからである。
「父的なもの」を克服しないものは、大人にはなれない。
ゆえに彼女はこどもだった、という話になり、父親の責任はあいまいにされる。
(‥‥のかなぁ。書いてて違うような気がする)


そういうイニシエーションを描いた作品なので、高校生が読むとぴったりハマるのでは
ないでしょうか。と無理にまとめてみた。映画も楽しみだ。
それにしても、西脇融モテすぎだろ。


そうそう、この小説を読んで思い出したのがこれ。

スティーヴン・キングが、リチャード・バックマン名義で書いたSF小説というか、仮想
世界ものである。


米国はファシストが支配しており、一年に一度だけ少年たちによるロングウォークが実施
される。
これに参加して最後の一人になれば、望みは何でもかなえられる。


ルールは簡単で、メーン州オーガスタを出発して、ひたすら南下するだけである。
ただし、一定時間以上その場に止まってしまうと並走する軍によって射殺される。
ゴールはなく、最後の一人になるまでロングウォークは続く、というストーリーだ。


これも、ただ歩くだけの話なんだけど、ぐいぐい読ませる。
よろしかったら、是非。


本文と写真はまったく関係ありません

リd*^ー^)<ねーガキさんアメリカって遠いの?
||c| ・e・)<もうちょっとだから、がんばって歩くのだ