かたちをみる能力

NHKの「プロフェッショナル」という番組の再放送で、カーデザイナーの奥山清行という人が
出演していた。
えーっ、この人、日本人なのにピニンファリーナで働いてるんだぁ、すげー。


ちなみにピニンファリーナのサイトをのぞいたら、1940-1944年の仕事がないことになっていた。
第二次大戦中って、ファシスト党の仕事を請け負ってたのだろうか?(参照


クルマに詳しい人なら既知のことだろうけど、私は奥山清行がエンツォフェラーリのデザインを
手がけたことを初めて知った。


番組で、どのようにデザインを作っていくかを取材していたのを見たら、とにかく手を
どんどん動かして、感覚的にクルマのフォルムを決めている。
彼だけでなく、部下の若手のデザイナーたちも、パソコンのタブレットで絵を描くように
デザインしていた。


これってピニンファリーナだけかもしれないが、ボディの剛性や空気抵抗などの計算って
デザインの後からやるんだろうか? 
それとも、デザイナーはそういうことを分かっており、設計者・エンジニアの領域もカバー
しているのだろうか? 
そのあたりが、よく分からなかった。


これは、どちらが良い悪いということではないが、ヨーロッパにはデザイン優先のクルマを
大事にする風土があり、日本には機能優先のクルマを大事にする風土があるのではないか、と
思う。


つまり、ヨーロッパの消費者は、格好よかったり目立ったりするクルマを評価してくれるが、
日本ではなるべくフツーのかたちのクルマを好むのではないだろうか。


なんでそういう違いがあるかを考えてみると、幼児期からデザインを培う環境が豊かかどうか、
ということではないか。
いわば、かたちをみる能力を鍛えているかどうか、という問題になると思う。


“かたちをみる能力”とは何か。
三次元+ α をイメージできることである。+ α は新しい発想と言ってもいいかもしれない。


私の友人に Og くんという人がおり、彼はかたちをみる能力があった。
例えば、私と Og くんが同じプラモデルを作るとして、私はただ単に設計図を見ながら組み立て
るが、 Og くんはまず完成したものをイメージし、そこに向かってかたちを整えていく。
だから、私の作ったものは無様なものにしかならないが、Og くんが作ったものは格好いい。


で、そういう能力がある人がヨーロッパに生まれたら、カーデザイナーとか家具デザイナーに
なり、日本に生まれたらアニメのメカデザイナーや怪獣のデザイナーになるんじゃないか、と。
具体的には、大河原邦男とか成田亨のことなんだけど。


なんか、日本の教育って、そういう人をスポイルしているような気がしてならない。
デザイナーは、まず才能ありきなんだろうけど、義務教育の時期にそういう才能を発見して、
育むことをしてもいいんじゃないかしら。