大学生が生き埋めにされた事件が報道されており、私もヤジウマ的な興味があった
のでニュースを見た。
最初、被害者は無垢の人かと思っていたら、実は先に加害者たちを監禁して恐喝
していたことを知って、何ともいえない気分になった。
素人がヤクザの真似をしてどうする。
ていうか、ヤクザはこんな下手なことはしないか。
加害者は、おそらく正義は自分たちにある、と思ったのだろう。
なにしろ先にひどいことをしたのは向こうなのだ。
監禁・恐喝されたのだから、身を守るのは当然ではないか、と。
ゲームの悪口を言うわけではないが、彼らの思考パターンは、ゲームのターン制に
似ていると思う。
相手の攻撃を受けているときは防御に徹し、こちらの攻撃ターンになったら全力で
潰しにかかる。
もし、次のターンで敵が生きていたらやられるかもしれない。
だから、自分のターンで全滅させなければならない、というような印象を受ける。
もちろん、彼らがゲームばかりやっていて、そういう脳になってしまったのだ
というトンデモ学説に与するつもりはない。
むしろ、私は日本人の何かが劣化したことに原因があるのではないかと思う。
よく、問題を起こした企業などで謝罪会見を行うことがあるが、そのとき質問する
メディアの記者たちは、まるで自分に正義があるかのように振舞う。
お前は審問官か。
マンションの耐震偽装事件での住民たちの憤り方も、容赦がない。
怒りをぶつける気持ちは分かるが、あなたに一方的に怒鳴りつける権利があるの
ですか、と問いたい。
もっと卑近な例でいうなら、レストランで料理などに不手際があった場合に、
店長を出せ、などと大騒ぎする人がいる。
そりゃ、あんたは客かもしれないが、そこまで偉そうに叱りつけられる立場か?
海原雄山じゃあるまいし。
相手の過失を叱責することで、自分の立場を守る。
それは弁護士どものやり口である。
だが、それは裁判官という第三者がいる法廷でのみ許されることではないのだ
ろうか。
相手の非を武器に、死ぬまで攻撃する21歳の若者たちは、裁判でどのように
検察から責められるのか。
彼らのターンのとき、弁護士は若者と同様、先に監禁・恐喝したのは埋められた
奴らの方だ、と主張するに違いない。