東京でマンガ編集者の職を求めているとき、新聞広告で応募した会社の面接があった。
行って話を聞いてみると、パチンコ屋でしか出さないマンガ誌を作るという。
一般書店には流通せず、出玉と交換しないと読めないので、みんな読みたがるだろう、と
いう説明だった。
その会社には採用されなかったので、その後、パチンコの景品マンガはどうなったか
知らない。たぶん、ダメだったんじゃないかと思う。
むしろ、パチンコ・パチスロをする人は、白夜書房の雑誌を買うだろう。
私は前の会社の同僚に誘われて、数回だけパチンコをしたことがある。
一瞬で、6000円が消えた。楽しむ暇もなかった。
たぶん、ギャンブルにのめり込む人は、金がなくなっていくスリルと、自分の予測が
ガツンと当たるエクスタシーが忘れられないのだろう。
私は、ケチなのか器が小さいのか、とりあえず出した金のリターンを確実に求めたい
人間だ。どうなるか分からないものに、大金を投入できない。
だから予想するんじゃないか、とギャンブル好きの人は言うであろう。
しかし、それが面倒くさいし、確実に的中することはまずない。
だったら、1万円出して普通に1万円分の何かを得られる方を選ぶ。
自分の運がそれほどよくないことも知っているので、みすみす危険なことはできない。
石橋を叩いて壊すのが私だ。
だが、世の中にはギャンブラーと呼ぶべき人が本当にいる。
私が下っ端として働いていたマンガ誌の副編集長がそうだった。Kさんという。
Kさんはサイフを持たない。裸のままポケットにお札を入れる。
たいていは編集部におらず、近所の雀荘にいる。
両切りの缶ピースを、フーッとふかしながら鋭い目で卓を囲む。
大勝はしないが、ほとんど負けることはなかったそうだ。「そうだ」というのは、私は
麻雀ができなかったから、他の人に聞いたのである。
ギャンブルで儲けると、編集部の若手を焼肉屋に連れて行ってくれた。
会計のとき、私のような下っ端は1000円、もう少し上だと2000円をKさんが集める。
残り全額は、Kさんが払ってくれた。
全部をおごってもらうと気を使ってしまうが、少しでも出しておくと、気が楽になる。
Kさんはそういう心配りをされる方だった。
そのKさんから伺った話。
伊○院静が地方の競輪に行き、万車券を取った。
一回につぎ込む金額が10万円単位だから、たちまちボストンバッグ一杯の金になった。
その金をどうしたか?
彼は、飛行機で別の競輪場(か競艇場?)に行き、ほぼ全額をスッたそうだ。
もし私が、ボストンバッグ一杯の金を当てたら、あわてて貯金するだろう。
真のギャンブラーは、それを元手に、もう一山当てるつもりになるらしい。
上には上がいるものである。
Kさんは、ダンディな人だった。
恐らく、パチンコ中毒の人間とギャンブラーの違いは、ダンディズムの有無にあるのでは
ないか、と思う。
本当の博打は、惰性でするものではないのだろう。