興奮するきっかけ

ポルノグラフィーというものは、普遍的なものだろうか? 
たとえば、プレイボーイのヌード写真を見た場合、レバノンの男性も、チベットの男性も
ノルウェーの男性も、だいたい同じように興奮するのか、ということだ。


イスラム圏で、戒律が厳しい国では、女性は夫や親族以外には姿をさらしてはならない
ことになっている。
そうすると、その国の若い男は、我々が普通に享受している水着のグラビアなんかにも、
激しく反応するだろう。


逆に、日本の女子高生のスカートがどんどん短くなっていったとき、私などはウハウハ
だったのだが、しばらくしたら慣れてしまった。
いや、今でも見ることは見るのだが、初期の興奮はない。


そうすると、男は女がふだん隠している部分を露出することによって興奮するのか? 
必ずしもそういうことではなかろう。


というのも、全裸の女性を見ても、全くエロティックな気分にならない場合もある
からだ。顔や体型が好みでない場合や、美人でも標本のような感じに見えるとき、
エロ回路のスイッチは入らない(少なくとも私はそうです)。


それに、ほぼ裸で生活している部族もいるわけで、いちいち裸に興奮していたら
やってられないだろう。


むしろ、身体だけではなく、女が抑制している(と男が勝手に思っている)性欲を
あらわにしたとき、男のエロ回路が働き始めるのではなかろうか。


しかし、こんなややこしい話は、文明が発達するのとパラレルな関係にあるような
気がする。性欲をうまくコントロールすることで、動物から人間になっていった
のかもしれない。


てことは、現在の我々が何に興奮するかは、あらかじめ文明によって刷り込まれて
いたのかしら。
極端な話、エロゲー古代エジプト人に見せても、何のこっちゃ分からないと思うし、
逆に古代エジプト人が興奮していた何かを見せられても、我々はピクリとも反応しない
であろう(たぶん)。


岸田秀の「本能が壊れている」説を受け入れるなら、本能が全くのオープンな状態で
放置されており、何かを刷り込まれて作動するのだと思う。
その最初の刷り込みによっては、変態と呼ばれる少数派が出現するのかもしれない。


そうすると、ポルノグラフィーというのは、一種の教育装置と言えるんじゃなかろうか。
で、インターネットでいくらでもエロ画像を見ている中学生たちは、そういう風に興奮
するシステムをインストールされてたりして。