テレビドラマを見るとき

私は1991年まで、民放のドラマをほとんど見なかった。
親がNHKばかり見させていたというのもあるが(昔はテレビは一家に一台だったのよ)、
あんなもの下らないと思っていたからだ。ヤなガキだね。


マンガ雑誌の仕事をするようになってから、先輩に「101回目のプロポーズ」の話を
振られたとき、見てませんから、と言った。
すると、先輩は「あのさぁ、やっぱり大勢の人が見てるものは、一応見とくべきなんじゃ
ないかな。マンガに使えるかもしれないじゃん」と教えてくれた。
なるほど。


それから私はなるべくドラマを見るようになった。といっても、自分で面白そうなものを
選んで見ていたので、全部を網羅していたわけではない。
当時はトレンディドラマ全盛の時期だったので、恋愛ものばかりだったのだが、中には
面白いものもあったし、自分の好みのドラマの視聴率がいいとうれしかった。


そういうわけで、私がドラマを見る姿勢は、仕事で使えるかもしれない、という動機が
あったから、ヘッドフォンを使って一切の邪魔が入らぬようにして集中するという、
かなりマジな態度だった。


あるとき、自分のドラマの見方は、かなり特殊ではないか、と気がついた。
他の人は、何かをしながらとか、ときどきテレビを離れたりして、それほど集中せずに
見ていることが分かった。


同時に、私は100のものを表現しているとしたら、100のものを受けとめたいと思っていた
のだが、普通は100のことを送り出しても、30〜40ぐらい受けとめてくれたらいい方だ、
ということも分かった。


それは、作り手に対して失礼なのではないか、と憤慨したのだが、娯楽というものは
そういう風にできているのだね。
逆に、そういうゆとりがないと、作ってる人も辛いのかもしれない。


だから、「銭湯の娘」を見ていて、これは主婦が何かをするついでに、あんまり頭を
使わずに見るという態度が一番ただしいのだ、と納得したのです。
矢口はハイテンションでがんばってるけどな。