ブラジルでランバダ

1994年にブラジルへ行ったときのこと。
母方の遠い親戚がサンパウロにいるというので、友達と別行動をとって会いに行った。
日系二世のHさんという方が迎えに来てくれた。


めったに来ないお客様だ、ということで歓迎パーティを開いてくれ、翌日もリゾート地を
案内してくれたりして、大変親切にしていただいた。


その夜、シュハスコ(焼肉)を満腹になるまで平らげて部屋で休んでいると、Hさんが
やってきた。
「夜のサンパウロを案内しないとね。せっかくブラジルまで来てもらったんだから」
「はぁ‥‥」
クルマでどこかのカラオケスナック(?)に連れて行かれた。
Hさんは知り合いと奥のボックス席へ行ってしまい、私はポツンとひとり残された。
そこへ、ミニスカのお姐ちゃんが来た。
ムラータと呼ばれる混血の女性で、エキゾチックな美人だった。
「踊らない?」(←英語)と彼女は言った。


当時、流行していたランバダがかかり、私とそのお姐ちゃんはフロアで踊った。
さすがにブラジル人だ。私はついていくだけで精一杯だった。
ちなみに、米国人の男はオッパイが大好きで、ブラジル人の男はお尻が大好きという傾向
がある。彼女のお尻は、そりゃあもう立派なものだった。


やたらと身体をグイグイ押し付けるので、そういうダンスなんだろうなと思っていたら
「別の部屋に行きましょ。50ドルよ」
と耳元でささやくのである。
(ごっ、50ドル‥‥5000円<当時のレート>でこのお姐ちゃんと‥‥)
褐色の肌を見ながら、生唾を飲んだですよ。


しかし、そもそもこの場所がどこだか分からないし、Hさんもいる。
はぐれたら帰れないではないか。
私は泣く泣く誘いを断った。そして、Hさんにそろそろ帰りましょうと言った。


Hさんはしたたかに酔っ払っていた。あ、そういえばクルマの運転‥‥と思ったが、
当たり前のようにHさんがハンドルを握っている。
「いいかい、ブラジルでは青は進め、黄色も進め、赤は注意して進めだ!」
ワハハと笑いながら、Hさんは本当に交差点を赤信号で突っ込んでいった。
カーステレオでは、なぜか演歌が流れていた。
いったい何キロで走っているのだろう、とメーターの針を見たら、ぷらんと垂れ下がって
いた。死ぬかもしれん、と思った。


ええと、なんでこんな昔のことを書いたかというと、ランバダを踊ったお姐ちゃんの
肌がきれいだったのを思い出したからだ。
石川梨華さんは、よく地黒だと言われておるのだが、褐色の肌というのは欠点でも何でも
なく、むしろセクシーであるよ、ということを伝えたかったのです。