就活

最近は、大学生が就職活動することを「シューカツ」と言うらしい。
こういう言い方は、私が学生の頃にはなかった。ただ「就職活動」と言っていたと思う。


なんで、こんな言葉が定着するようになったのか考えてみた。
バブル期以前は、景気の変動によって差はあっても、たいていの人は
どこかの企業に就職していたし、フリーターになるという選択肢は珍しかった。


ところが、バブルが崩壊し就職氷河期がやってくる。
企業は人材育成をほとんど放棄する形で、即戦力を求めた。
失われた10年」と呼ばれる低迷期を経て、ようやく景気が復調してきたのだが、
企業はもはや大量採用などしなくなった。
そんなコストなんかかけてられないよ、ということだ。


そうすると、学生は困るわけである。
企業が求めるレベルと、大学の教育のレベルに大きなギャップが生じており、かつては
コストをかけて企業がそれを埋めていたのだが、それを放棄されてしまったからだ。


22歳の若者に「キミはどのくらい金儲けができんの?」と問うたとき、自信満々に
返事ができる人はたくさんいるのだろうか? 


じゃあ、大学の教育というのは何なのか、という話になる。
私は文系のことしか分からないのだが、就職予備校として企業法務や会計の勉強を
させればいいのだろうか。
本来は、モラトリアム期間に幅広い教養を身につけるという建前があったはずなの
だが‥‥。


もはや企業が教養を求めなくなってしまった以上、大学に行くという意味がなくなって
しまったのかもしれない。


大学に入るために、あんなに受験勉強をしたにも係わらず、どうしてシューカツに
必死にならなければならんのか。
公正な学歴社会というものがあったとすれば、階層に関係なく自分の社会的地位を
上昇させられるはずだったのだが、もはやそんなものは崩壊しているようだ。


とりあえず、どこかの企業に所属しなければ、その後の人生が大きく変わってしまう。
そういう椅子取りゲームをクタクタになるまでやっている感じが、このシューカツと
いう言葉からあぶりだされているような気がする。


その競争から降りてしまった若者たちは、未来への希望を失って、ただ毎日を生きる
だけの生活に流されてしまうのだろう。
その最果てに、すでに若者ではなくなった私もいるのだが。