野ブタ。をプロデュース

掘北真希が可愛いので見ている。
引きつったような笑い方が、キモくていい演技だ。
もっとも、彼女はもともと可愛いので、不細工な女の子じゃないとリアルでないの
かもしれないが、そうすると視聴者が引いてしまうんだろう。


今回の話は、イジメによって、制服に黄色のペンキで大きく「ブス」と書かれてしまい、
学校に届け出て私服で登校できるようにする、というストーリーだ。
私は、見終わった後に、なぜか人民服を思い浮かべてしまった。


人民服というのは、ネットで調べたところによると、孫文が着ていた服で、正式には
中山服というらしい。
それを、初期の中国共産党の人々が取り入れて、みんな着ていたとのこと。
毛沢東周恩来が着ていた、学ランみたいなやつである。


私は図らずも「学ランみたい」と書いてしまったが、そういうことなのだ。
平等であることを目指す社会は、ファッションというものも平等でなければならない。
(ファッションは差異によって成り立っているので、平等とは、矛盾しているけれども)


そこで、みんなが同じような服にすればいいじゃないか、という発想も出てくる。
現に、70年代の中国はみんなが人民服を着ているイメージがある。
本当はどうだか知らないけど。


日本の学生だって、余計なことを考える暇があったら勉強しろよ、という意味で制服を
着させられている。
スカートを短くするのはそれに対する抵抗でもあろう。
でも、ファッションを考えなくてもいい、というのも楽ではあるのだ。


コーディネートを考えるのが楽しいという人もいるだろうけど、そんなの面倒くさいと
いう人だっている。
前者が後者をダサいとバカにするのはどうなんだろう? 


もっとも、いまの中国で誰も人民服なんて着てないし、学生は卒業すると制服なんか
着なくなる。人はファッションに係わらずして生きていけないのだ。


だが、このまま世の中が進んでいくと、差異の消耗戦になってきて、死屍累々となる
恐れがある。
それで儲けるのは誰だ?