脳化する東京

昨日、北海道の人が思う四国像はどんなもんだろう、ということを書いたのだが、話を
広げて東京(あるいは首都圏)の人は、地方のことをどのようにイメージしているんだ
ろう、と考えてみた。


私が東京の人に出身を訊かれたとき「愛媛県です」というと、「あー‥‥ミカンの」とか
「へぇ、いいとこだね」という、かなり微妙な反応がかえってくることが多かった。
おそらく、情報があまりにないのか、愛知県と混同しているのではないかと思う。


私だって、たとえば山形県の人に対しては、同じような反応をするだろう。行ったことが
ないし、さくらんぼぐらいしか思い浮かばないのだから。失礼な話だ。
山形の方、ごめんなさい。


いきなり話は飛躍してしまうのだが、東京=脳・地方=身体、というイメージなのでは
なかろうか。


脳も身体の一部であるが、脳自身はそれを意識せず、自分がすべてだと思っている。
だって、手足の一部が欠けても人間として生活できるけれど、脳が失われると寝たきりに
なるしかないもんね、ということだ。
もっとも、映画「ジョニーは戦場に行った」みたいに、脳だけの状態で生きているのも
どうかとは思うけれど。


そういう極端な状態はともかく、ふつう脳は身体を文字通り手足のごとく使う。
本当は身体からのフィードバックがあるからこそ脳は指令を出せるわけだが、脳は
そう思っていない。


これをいまの日本に当てはめると、身体が痩せてフラフラになっているけど、脳は
活発になっており、非常にバランスが悪い状態にあるのではないかと思う。


結論としては、私も含めて、もっと地方のことを知ろうよ、ということか。
なんだそりゃ。