死ぬ人数は条件によってどのくらい許容されるのか。

例えば交通事故だと昔は年間1万人ぐらいだったが、

現在は5000人前後である。これだけ人が亡くなって

いるが、クルマを廃止せよという声は共有されない。

利便性の方が大きいからだ。

 

登下校時の小学生の列にクルマが突っ込んで死傷者が

出る事故も何度もあったが、抜本的な防止策は実現して

いない。しばらくすると忘れ去られ、また事故が起きる。

 

自殺者の増減も話題になるが、その人数も社会的に

許容されているのだろう。

 

 

政府は東京オリンピックを開催することで、新型コロナ

ウィルスによる死者がどのくらい出ると想定しているの

だろうか。

安全安心というばかりで、考えていないのかもしれないが、

このくらいまでは支持率が下がらないだろうという計算を

誰かしているはずだ。

 

英仏伊で12万人前後、米国だと60万人が亡くなっている。

人口の規模で換算すると、日本で20万人ぐらいが亡くなって

いることになるだろうか。

 

実際に日本で亡くなっているのは1万5000人弱である。

政府は、東京オリンピックを開催しても20万人までは

人が死んでも大丈夫だと考えている気がしてならない。

 

大丈夫というのは、選挙で自民党政権が、という意味

である。これくらい死んでも、自民党に投票するだろう

と思っている。

 

そして実際に衆議院選挙ではみなさん自民党に投票するか

棄権するだろう。

 

それは日本が資源のない南米のような国になる第一歩だ。

 

アニメ「ひげを剃る。そして女子高生を拾う。」を見終えた。

原作のラノベは未読。

 

家出した少女を自宅に住まわせるという設定は、現実の社会問題と

リンクしているので、作品のリアリティとの整合性が問われた。

私も、登場人物が誰一人、児童相談所に連絡しないのを不思議に

思った。

 

この、行政に頼らないという考えは、生活保護を糾弾する世相と

一緒で、自己責任論が染み渡っていることを想起させる。

 

 

おそらく作者はそんなに深刻なものだと考えておらず、単に

可愛い女子高生が部屋にいてイチャイチャできたらなぁ、ぐらいに

思っていたし、ほとんどの読者もそうだったのだろう。

 

ラノベによくある「あのとき助けていただいた○○」です、

みたいな感じで、別の生き物が女子高生に化けてやってきたの

なら、特に問題もなかった気がする。

 

「86エイティシックス」もそうだが、作者の手に余ることを

書かせるのは、編集者の力量が足りないからだろう。

角川の編集者はアレな人が多いと言われるが、作品がその証明だ。

 

と同時に、読者の年齢層が上がったので、従来の設定ではリアルさを

感じなくなった、というのもあるだろう。

普通、そういう人はラノベを卒業して一般的な小説に向かうはずだが、

読者が成長していないので、ずっとラノベにとどまり続けているのでは

なかろうか。

 

ライトノベルにも素晴らしい作品はたくさんあるが、リアルな社会と

リンクさせると限界がある。

そこを突破した作品が生まれることも期待するが、果たしてそれは

ライトノベルと呼べるのだろうか。

 

 

アニメの出来はともかく、主題歌の「おもいでしりとり」は

いい曲だった。


www.youtube.com

UNISON SQUARE GARDEN田淵智也は前からいい曲を書くとは

思っていたが、これは他者に提供した楽曲の代表作になるのでは

ないか。ソングライターとしての円熟を感じる。

DIALOGUE+もこれでブレイクしてほしいものだ。

ていうか田淵智也ハロプロに曲を書いてくれ! 

 

*[本]街道をゆく29 秋田県散歩・飛騨紀行

 

 これもずいぶん前に読んだので、もはやほとんど記憶にない。

私の読書は時間の無駄ということか。

改めてページをめくってみると、東北から出た偉人の話から

入っている。その中に内藤湖南の名前もあった。

 

そのすぐあとに読んだ富永仲基の新書で、彼を明治時代に

再発見したのが秋田県出身の内藤湖南だと書いてあり、

妙な偶然を面白く感じたものだ。

*[本]86 エイティシックス 1巻

鳴り物入りで始まったアニメを見たのだが、今ひとつ面白くない。
たまたまブックオフで売っていたので第1巻だけ買ってみた。


「ふと、微かな慨嘆に揺らぐ」とか「茫洋と凍りついたようだった
黒瞳が罅割れ」という妙に難しい言い回しや、むやみに出てくる
ドイツ語のフリガナで表現される中二病的文章、おじさんも
嫌いではないが読むのに疲れる。



まあ、これは「進撃の巨人」から派生したライトノベルのひとつ
なのだろう。
しかし、人種差別という深いテーマを扱うには、作者の力量が
不足していたように思う。
はたして作者は「夜と霧」を読んだことがあるのだろうか? 


1巻を読み終えると、共和国は滅んでしまい読者に対する
カタルシスはある。アニメはそこを描いていなかったので
中途半端に終わった印象があった。
おそらく2期があるので間延びさせたのだろうが、これは
シリーズ構成が無能ではなかろうか。



この手のデスゲーム的設定の話で気になるのは、主人公たちは
ゲームをうまくやることに能力を集中させているが、ゲームを
管理している人たちを攻撃することはあまり考えないことだ。


もちろん最終的に管理者が破滅する展開もあるのだけれど、
与えられた設定は覆せないものだと諦めているフシがある。


この小説でも、反乱することもできるだろうに、組織的な
抵抗はしない。いちおう反乱を抑える設定はあるのだが、
読んでいて不思議に思った。


作者の意図はよく分からないが、政治的に去勢された若者が
描かれているのは時代を反映しているのかもしれない。
自分たちが声をあげても世の中は何も良い方向に変わらない、
という諦めを抱かせたのは、ひとりの大人として申し訳ないと思う。


続刊ではどんな展開になるのか分からないのでアニメ2期が
楽しみではあるが、このラノベのどういうところが若者に
受けたのかに興味がある。


それにしても、サンマグノリア共和国の報道機関は国営のもの
しかなかったのだろうか。あと選挙制度がどうなっていたかも
気になる。


そうそう、作者は権利と義務がトレードオフの関係だと思って
いるようだが、権利とは何もせずとも備わっているものだという
のが近代以降の解釈です。

これは勅命である、とみんなが言うことをきく最強のカードが

手に入ったら使いたくなるものでしょう。

つまり、本当に天皇を崇敬している人もいれば、単に自分の

ために利用する人もいて、ネオリベは後者ということだ。

 

そうするとネオリベを保守とか右翼と呼ぶのは間違いになる。

むしろロシア語のオリガルヒが近いのではなかろうか。

そもそも東京オリンピックを誘致しようとしたのは、当時の

都知事だった石原慎太郎である。

こいつは尖閣諸島でも中国を怒らせて要らぬトラブルを招き、

我が国にとって損害しか与えていない政治家だ。

 

しかしその最悪の人物に嬉々として投票したのは当時の東京

都民である。

おそらくそのほとんどは現在も東京で暮らしているだろう。

なので自己責任である。

(ただし、現在の若者たちは投票できなかったのだから

責任はない)

 

大阪もそうだが、なぜ極右のクソ政治家が首長になれるのか、

その仕組を解き明かして対策をとらないと、結果的に多くの

人が死ぬ。

 

ポピュリストが大衆の愚かな部分を刺激することに長けている

からだろうが、これは地道に教育していくしかないのだろうか。

 

立花隆が亡くなっていたそうで、晩年の不遇が悲しい。

ご冥福をお祈りします。

もし立花隆を読んだことのない人に1冊薦めるなら

 

 これがいいと思います。

田中角栄研究」でブレイクした人だけれども、本人は

政治ネタよりサイエンスの方がずっと好きだったので

あれに時間をとられるのはもったいなかった。