無名くん(デジタルセレクション)(1)

無名くん(デジタルセレクション)(1)

 

 藤子不二雄Aのマンガに「無名くん」というのがある。

普段は冴えないサラリーマンだが、実は大金持ちで、かつらと

サングラスをかけて同僚の窮地を救う、という話だ。

 

これをブラック企業に勤める設定にして、ひどい経営者を

やっつける、というドラマにできないものだろうか。

主演は「やすらぎの郷 道」の風間俊介か、濱田岳がいいと

思う。

今日はなんにも書くことがない。

 

暑くなる時期はカンパリを一瓶買ってきて、何かで割って

飲んでいる。

オレンジジュースと炭酸だったり、三ツ矢サイダーだったり

いろいろ試してみた。

 

今年はカンパリと同量のソルティーライチを入れて、それを

炭酸水で割るのが気に入っている。

ほろ甘苦くておいしい。

お試しあれ。

 

日曜日にドラマ「ノーサイド・ゲーム」を見た。

ドラマ自体は面白かったけれど、なぜラグビー部員たちは

あんなに偉そうなのかが全く理解できなかった。

 

もともとスポーツは貴族の暇つぶしから始まった遊びである。

だから、本来は健康で暇な金持ちがやるものなのだ。

 

もしスポーツの素晴らしさを伝えたいのなら、社会全体に

暇とお金を行き渡らせる必要がある。

ところが現状はその反対で、残業と薄給のブラック企業

跋扈している。

 

 

新自由主義の世の中では、企業がスポーツチームを抱える

ことは無駄だとみなされるだろう。

人気のあるスポーツはプロになり、人気のないスポーツは

マチュアが細々と続けるのでいいではないか。

 

そして資本が異常に人気スポーツに流れ込むのは、古代

ローマの闘技場と同じことで、大衆が興奮するものを

求めているからだろう。

 

そこにはスポーツの健全さなどはない。

身体が壊れるまで戦う剣闘士がいるだけである。

だから私は大金が投じられた競技にはあまり興味がない。

 

*[本]初期仏教

初期仏教――ブッダの思想をたどる (岩波新書)

初期仏教――ブッダの思想をたどる (岩波新書)

中村元原始仏教と呼んでいたが、いまは初期仏教と言うらしい。
ブッダの教えが口伝され、それが書き写されたものが残っており、
それらを吟味して分析し、初期の仏教はどういうものであったかを
解説している。


かなり専門的な言葉がたくさん出てくるので、正直あまりよく
分からなかったけれども、人間の欲望と認識を分析し正しく生きる
とはどういうことかを教えるものだ、という流れは分かった。

 同時に、仏教は唯物論にもとづく道徳否定論を斥けた。古代社会に
おいて、死によって人間は無に帰し、死後の世界はないと人々が考える
なら、倫理よりも目先の利益が優先され、力の強い者が弱い者から搾取
する世界になってしまう。仏教を含め、古代インドでは、そのような
弱肉強食を「魚の法則」と呼んだ。


 死後を信じない人が圧倒的に多い近代社会で、罪人必罰の制度が
整備されていく理由はここにある。近代社会は、地上に自業自得の
制度を実現して、「罪を犯すと罰を受ける」という潜在意識を人々に
植え付ける。監視技術の向上に伴って、現代社会が監視社会へ向かう
のは、その意味で当然である。


 逆に言えば、確固とした倫理規範のない世俗的な社会が平和に
保たれるのは、高度な監視技術と強力な警察機構があるからであって、
部族社会の秩序にも、神の信仰にも拠らず、しかも、監視社会でない
世界を作ろうとするなら、個の自律は不可欠の条件になる。個々の
倫理的実践なくしては、そのような世界は実現しないであろう。


 古代インドには、言うまでもなく近代国家のような監視システムも
警察機構も存在せず、現代社会とくに今日の日本に比べ、治安は
著しく悪かった。そのような社会を前提として構想されている仏教の
社会論は、あらためて整理すると、次のような未来像を描いている。


 もし個の倫理的自律が崩れ、欲望に駆られるようになれば、また、
為政者が貧しい者の生活保障を怠れば、平和は乱され、人々が殺し
合う「武器の時代」を迎えるだろう。「武器の時代」を経て、その
教訓から個の自律が実現してはじめて、理想的為政者が再び現れ、
彼の下に諸国が自発的に統合して、世界がひとつになる。現代の
概念を借りて言い換えれば、世界政府の樹立である。


 現在、世界政府の実現を信じている人は、おそらくほとんどいない
だろう。しかし、第一次世界大戦後に国際連盟第二次世界大戦後に
国際連合が生まれた歴史を想起したとき、「武器の時代」を経て
世界がひとつになるという予言を、我々は古代人の夢だといって
笑うことができるだろうか。(p137-138)

長々と引用してしまったが、カントの世界政府の発想よりはるか
昔にこのような思想を生み出した仏教というのは、現代において
再読すべきものだと思う。



インドと中国のあいだにはヒマラヤ山脈があるので、積極的な
往来はなかった。
それでも中国人は苦労して仏教を自国に持ち帰った。


前から不思議に思っているのだが、逆に中国からインドに
持ち込まれた思想や技術はどのくらいあるのだろうか? 
古代中国文明の影響は、ヒマラヤ山脈に遮られてほとんど
伝わっていなかったのか、それともいくつかあるのか、
よく分からない。

ジョアン・ジルベルトが亡くなった。

私が好きだったのは“Na Baixada do Sapateiro”だった。

もともとは民謡みたいな曲だが、ジョアン・ジルベルト

パーカッションとギターだけで最高のグルーヴを作った。

インスト曲なのにギターが唄っている、超絶技巧である。


João Gilberto - Na Baixada do sapateiro

 

初期のジョアン・ジルベルトで好きだったのは、

“O Nosso Amor”と“A Felicidade”のメドレーで、映画「黒いオルフェ」で

使われた曲なのでバックに派手なサンバの音が入っている。

洗練されていく前のボサノバである。


João Gilberto - 38 - O Nosso Amor a Felicidade

 

一本のギターで弾くリズムとビートは、サンバの響きを内包していながらも

クールだった。

素晴らしい音楽家に感謝を。

 

*[本]ヒッキーヒッキーシェイク

幻冬舎見城徹が大嫌いなので、これは応援せねばと思って買った。
津原泰水の小説は初めてなのだが、正直なところそれほどピンと
こなかった。
私自身がひきこもりだからだろうか? 


なぜ、不気味の谷を超えたCGの女性が「おかえりなさい」と言う
のを聞いて涙するのかが、読んでいてまったく分からず、私はかなり
鈍いのだろうか、と心配してしまった。


もしかすると津原泰水の小説を最初に読むのに、この作品は不適当
なのかもしれない。
そう思って、古本屋で「ブラバン」を買ってきていま読んでいる。
これはすごく面白い。



「ヒッキーヒッキーシェイク」を明屋書店で買おうと思ったのだが、
全店舗に在庫がなかった。取り寄せなければならないらしい。
ツタヤで偶然発見したので手に入れることができた。
文庫一冊のためにアマゾンは使いたくなかったのでよかった。


明屋書店は「ヒッキーヒッキーシェイク」は置いてないのに、月刊
HANADAとか月刊WiLLなどのバカネトウヨ雑誌は平積みしてある。
松山市民の頭の悪さが本屋の品揃えで分かろうというものだ。

*[マンガ]それでも歩は寄せてくる

同時期に三冊も単行本を出すなんて、山本崇一朗は大丈夫なのだろうか? 
仕事のしすぎで身体を壊さなければいいのだが……


本作は将棋が大好きな少女と、彼女が好きな少年が基本的に将棋をする
だけの話である。
一話ごとに棋譜が載っていて、将棋が分かる人なら、二人の関係の妙味も
分かるのではなかろうか。


「高木さん」と違って、これは男子の方からグイグイ攻めてくるマンガ
である。もう二人とも付き合っちゃえよ、というぐらいイチャイチャして
おるのが読んでいて恥ずかし楽しい。



「高木さん」はアニメだけで、マンガの方は未読である。
読みたいのだが、10巻以上あるとちょっと手が出にくい。


いつも高木さんが優位に立っているが、西方が年上のお姉さんと仲良く
しているのを見てメンヘラ化する展開はないのだろうか。
そういうキャラではないから無理か。


もうすぐアニメ二期がスタートするので楽しみである。