*[映画]劇場版 幼女戦記

今日は割引の日だったので「劇場版 幼女戦記」を見に行った。
公開一週間目の18時からの回で観客は30人弱ぐらいだろうか。


内容はTVシリーズの「幼女戦記」とほぼ変わらない感じだが、
音響がすごく良かった。重低音がすごい。



私はどうも「幼女戦記」の楽しみ方が下手なのか、なんか引っかかる
ものを感じる。
正直、作者が何を伝えたいのかよく分からないのだ。


ジャンルとしては異世界転生ものだが、根本的には全能の神との
戦いがテーマだろうと思う。
文学青年なら、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の中の
大審問官のくだりを連想するだろう。


この劇場版でも、主人公のターニャに対して父の敵を討とうとする
少女が現れ、教会の中で死闘を演じる。
TVシリーズのような、世界が静止して神が語りかけるシーンは一切
ないけれど、構図は同じだ。



作者の主張がターニャに託されているとすれば、宗教・共産主義
リベラル・非合理に対して反対しており、これは新自由主義では
ないかと思う。
いや、それよりもネオリベと呼ぶべきか。
欧州の極右政党の考えに近い。


そのようなネオリベの考えを持つ人が、異世界ものでナチスドイツ
的な軍隊の話を書いていて、楽しみに読む読者がいる。
作品自体はよくできた娯楽作品で、私も楽しんで見た。


けれども、他の人々はどういう水準で「幼女戦記」を見ているのか、
ちょっとよく分からないのだ。


断っておくが、「幼女戦記」を見たからといって、軍靴の足音ガー
とか言うわけではない。
そうではなくて、どういう物語として受け取っているのか、単に
知りたいというだけだ。



何かのヒントがあるかと思って、入場時に特典でもらった冊子を
帰宅して読んでみた。
正直、マンガを読んでも何が言いたいのかさっぱり分からなかった。
原作の小説を読まないといけないのだろう。

今年の冬に初めてトマト鍋を作った。

偏見というわけでもないが、なんとなくあれは鍋じゃないだろう、と

思っていた。

作って食ってみたらうまい。厚切りベーコンを切って煮込むと

プルプルになる。洋風の鍋なので、最後は生パスタを入れて〆る。

 

そうなると、スーパーなどで売られている鍋の素をいろいろ試して

みたくなる。そういえばトマト鍋の前には、まつやのとり味噌鍋を

作ったのだった。あれもうまかった。

この冬にあと何回ぐらい鍋を作れるか分からないが、いろいろ

チャレンジしてみよう。

 

 

人は意外と保守的なので、同じようなものばかり食べてしまう。

日本人はかなりバリエーションのある方だと思うのだが、それでも

似たようなパターンを繰り返していることに気がつく。

 

年をとると、新しい食べ物に手を出しづらくなる。面倒だし、

味が想像できるからだ。

それでも、食べたことのないものに挑戦してみるのはいいことだと

思う。

といっても私は魚介類がダメなので、限られた範囲での冒険に

なりそうだが。

 

BS日テレで週3回放送されていたアニメ「NANA」全47話が

終わった。えっ、どういうこと? という終わり方だったが、

調べると原作のマンガは作者の病気で中断しているらしい。

 

というわけで、原作未読でアニメしか見ていない。

でもオッサンなので言わせてほしい。これ、クソビッチの

話やんけ。

 

実写映画になったとき、宮崎あおいが降板した理由も分かった。

そりゃあ納得いかない役を演じることはできないだろう。

 

 

では、なぜこのマンガが大ヒットしたのか。

主人公に共感する女性が多かったから、としか言いようがない。

俯瞰で見ると小松ナナの行動には一貫性がないというか貞操

ないのだが、個別の恋愛はそれぞれ真剣で、そこに自分を見た

若い女性がいたのではないか、とオッサンは想像する。

 

もう一人の主人公の大崎ナナは実は生真面目な常識人だが、

天涯孤独な生い立ちが徐々に本人を蝕んでいく。

このあたりは普通の読者にとっては縁のない話だが、女性が

憧れる女性の典型なのかもしれない。

 

ふと連想したのは、NHKの朝ドラ「半分、青い。」だ。

主人公のバカさ加減がとても似ている。

このドラマは賛否両論あったが、おそらく「NANA」を支持

した層とかぶっていると思う。

 

 

アニメはいしづかあつこが監督助手をやっていて、彼女が

演出をしている回は明らかに面白かった。

2000年ぐらいの話なので、まだ古い携帯で会話しているのが

懐かしい。あと、あんなにバカスカたばこを吸う人が多い

アニメも珍しいと思う。

 

まだCDが売れている時代の物語だというのも、今の若者が

見たら違和感があるかもしれない。

10年間で音楽の聴き方が激変したことが分かる。

 

 

三浦しをんの「桃色トワイライト」というエッセイに以下のような

会話がある

「いま、『○○』という、すごく売れている漫画があるやん」

(『○○』には、各自で思い当たる作品を適当にお入れください)

「あるね」

「私は、あの作品の良さがどーしてもわからんのよ」

「わからんね。だけど、無視できぬほど売れているから、読んでしまうね。読んで毎回、『なんでこれがもてはやされるんだー!』と怒ってるけど」

「しをんはあれを、どういう作品だと位置づけてる?」

「『エセっぽいオシャレさに紛らわせてはいるけれど、実は貧乏くさい上京物語』だと思う」

「うん、私も基本的に同感。売れる作品に必要な要素が、そこにはすべて詰まっとるんよ。端的に言うと、『金に糸目はつけるな。しかし使うな』という精神だと思うんよ」

(p 275-276)

 私はこれを「NANA」だと思ったのだが、いかがだろうか。

ちなみにこの会話の相手は「死国のYちゃん」である。鋭い人だ。

 

 

マンガを連載していた時代と現在で、音楽の環境が全く違ってしまったことも、

作者が連載をなかなか再開できない理由になっているのではないか。

同時代の物語は同時代に描き切ってしまうのが幸せなのだと思う。

 

*[本]お友だちからお願いします

お友だちからお願いします (だいわ文庫)

お友だちからお願いします (だいわ文庫)

冒頭に書いているが、かなりよそゆき仕様になっている。
なので一人称の俺率が激減していて、内容の破壊力も大幅にダウンして
おるのだが、よそゆきなりの品の良さというのがあって、特に第4章の
エッセイなどは教科書に載ってもよさそうな感じだ。


このエッセイで分かったことは、
1) 三浦しをんはウォシュレットを使っていない
2) 町田から引っ越してしまったようだ
3) EXILEに夢中である
ということか。
ウォシュレットは使ったほうがいいと思うがなぁ……


もうひとつ、三浦しをんは母親と仲が悪いということも分かった。
これまでのエッセイにも母親は登場し、ちぐはぐな会話を交わしていたし、
このエッセイでも一緒に温泉旅行に行ったりしている。


が、本書に収録されている「理不尽の権化」を読むと、その憎しみは
かなり根深いのでは、と思わせる。

 どちらかというと怒りやすい質なので、わりと常にいろんなものやひとに
対して、「死ね」とか「殺す」とか思っている。思ってはいるが、本気で死ね
と言ったり殺そうとしたりしたことはない。


 しかし、なにごとにも例外はある。母親だ。母という理不尽をまえにすると、
我が胸の内にとたんに「死」と「殺」が本物になる。


 私はこれまで百万回ぐらい、「死ね、頼むから死んでくれ」と心から母に
懇願してきた。包丁の刃先が母の腹のほうへ向き、しかもその包丁を持つ
自分の手が怒りでぶるぶる震えているのに気づいたときには、さすがに「まずい」
と思った。「母を殺すのはまずい」と思ったのではなく、「こいつのせいで
殺人犯になるなんて……。自分をもっと大切にしなきゃまずい」と思ったのである。
あれが一番、私が殺人衝動に近接した瞬間だった。
(p 266)

このようにかなり物騒なことを書いている。


が、私にはよく分かる。全く同じことを母親に対して感じているからだ。
理不尽というか、こちらの言うことが全く通じない苛立ち。あれは何なの
だろうか。日本語なのに言葉が通じない徒労感がある。


三浦しをんの小説に、母親に対するどす黒い感情を描いたものがあるなら
読んでみたい、と思わせる名エッセイだった。

テレ東で大晦日に放送された「孤独のグルメ」が、なぜか2月3日の

昼間に愛媛県でオンエアされた。テレビ東京系がネットされて

いないからだが、それにしてもなぜこの時期に? 

 

井之頭五郎が京都で炭火焼き、名古屋で台湾ラーメンを食べて、

東京で待望のうなぎを頬張る、という話だった。

台湾ラーメンがうまそうだったので食べてみたかったけれど、

松山にはなさそうなので、しょうがなく来来亭に行ってチャーハン

定食を食べた。

 

10年ぐらい前に名古屋を訪れたとき、味仙で食べておけばよかったが

たどり着いたときにはすでに店じまいをしていたのだった。

返す返すも残念だ。

怪盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー(通称ルパパト)が

最終回を迎えた。戦隊モノを一年通してきっちり見たのは初めてだ。

 

最初は元モー娘。工藤遥が出ているので興味を持ったのだが、大人の

鑑賞に耐えうる魅力的な特撮作品で、毎週楽しく視聴できた。

 

ネットで誰かが、そのうち両方の戦隊が合体して戦うんじゃないのと

思っていたら最後までそうならなかったのがすごい、と書いていて、

私もがっつり同意した。

 

三谷幸喜の息子が夢中になっていて、三谷幸喜自身もコラムで絶賛して

いたのが話題になったのも記憶に新しいところだ。

 

登場する玩具もよくできていたが、ものすごい種類があったので親は

大変だったのではないか。

 

 

NHKのドラマでは「トクサツガガガ」が好評のようだ。

マンガの原作は未読だが、私も毎週楽しみにしている。

 

なによりこのドラマは戦隊モノのヒーローが劇中劇で登場しており、

その出来がいい。本気で作っているのが分かる。

 

主演の小芝風花の名前はこのドラマで憶えた。

工藤遥も女優として羽ばたいてほしいものだ。

ベネズエラは経済が失敗して大統領が二人いることになっている。

まだマドゥロ大統領の方に軍がついているが、どうなるかは分から

ない。

 

先進国で軍事政権になっていないのは、法律を遵守して文民統制

効いているからだろう。

言い方は悪いが、軍隊をきちんと飼いならすことができるかどうか、

というのは先進国かどうかを分ける指標になるはずだ。

 

中国やロシアも、軍隊は政治家に従っている。

クーデターを起こすには国の規模が大きすぎるから、よほど国が

荒廃しない限りは軍事政権にならないだろう。

 

 

ということは、国が豊かである限りはシビリアンコントロール

作用するけれども、経済的に破綻した場合は先進国でも軍が蜂起

する可能性があるということか。

 

そして近代兵器を持っている軍と、持っていない民衆とでは戦力に

著しい不均衡がある。そうなるとまともには戦わずテロリストに

なるほかはない。

 

 

豊かだから軍隊はおとなしいのか、軍隊がおとなしいから豊かに

なれるのか、鶏と卵みたいな話だが、タイとかカンボジアを見て

いるとよく分からなくなる。